フォッカー G.1A

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モデルはCZECH MASTER製
レジンキット

1936年、パリのエアショウにG.1Aが登場したときはセンセーションをまき起した。 後年ロッキードP-38で採用された双発双胴のスタイルは画期的なものであったし、機首に装備された2門の23mm機関砲と2挺の7.7mm機関銃という重武装は当時の水準をはるかに超えるものであった。 胴体全部は鋼管の骨組みにアルミニュームのカバー、後半は木製、翼はすべて木製といった構造であった。 ショウのあと機体はオランダのアイントホーフェンの飛行場まで輸送されそこで1937年3月に初飛行した。 エンジンは750馬力のイスパノ.スイザ 80-82であったが、トラブル続出でアメリカのプラットアンドホイットニー SB4-Gツインワスプに換えられた。 オランダ空軍もG.1Aに興味を示し1937年の終わりには部品の共有性からT-V爆撃機とD-XX1戦闘機に装備されていたブリストル.マーキュリー VIIIエンジンを搭載する条件で36機を発注した。 エンジン換装のため生産が遅れ、量産第一号機が飛行したのは1939年4月、軍に引き渡されたのは7月であった。 また各国の注目をあび、フィンランドから26機、スウェーデンから18機、スペインから12機、エストニアから8機の注文を受け、さらにデンマークとハンガリーからライセンス生産契約の打診があった。 第二次大戦勃発とともに外国への輸出は禁止されたが、長い交渉のすえようやくフィンランドへの輸出が許可された。 1940年5月、ドイツによる攻撃が始まったときには23機のG.1Aが配備されており、数機のユンカ―スJu 52を撃墜することに成功したが、オランダの抵抗が終了した5日目にはただ1機が残っているだけとなった。 オランダを占領したドイツはフォッカーの工場にあった12機のフィンランド向けの機体を完成させることを命じ、これらはドイツ軍で練習機として使用された。 飛行はドイツ軍の監視のもとに行われたが、1940年5月5日、オランダ人の操縦する1機がイギリスに脱出することに成功、機体は木製構造の研究に供された。 

 
性能諸元(Fokker G.1A)

形式: 重戦闘機   エンジン:ブリストル.マーキュリー VIII 830馬力   武装:7.9mm FN-ブローニング機関銃8挺、 7.7mm旋回式機関銃1挺、爆弾400kg   最大速度:475km/時(高度 2,750m) 巡航速度 335km/時  上昇時間:8分0秒(5,000mまで)  上昇限度:9,300m   航続距離:1,410km   自重:3,375kg   全備重量:4,800kg  全幅:17.15m  全長:10.9m  生産台数:62

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 William Green “War Plane of The Second World War Vol.3” Doubleday & Company, 1960 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978 Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988 Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “Combat Aircraft of World War 2 1938-1939” “Air International” Oct. 1974