疑いなくフランスの最良の戦闘機であるドボアチンD.520は、多くの新機種が初飛行で事故を起こしているのと違って、1938年11月の初飛行ですばらしい飛行を見せた。 ただテストパイロットが着陸時に主脚を出すのを忘れてしまい機体は破壊されてしまったのである。
1940年フランス領に不時着したメッサ-シュミットBf.109と比較テストを行った結果ではD.520は運動性でははるかに優ることが分かった。 もしフランスがその年の6月に降伏していなければ、D.520はドイツやイギリスの戦闘機と同じように歴史に名を残していただろう。 現実には1940年5月、ドイツ軍による侵攻が始まったときは第一線には36機のD.520しか配備されておらず、戦局に影響を与えるにはあまりにも少なすぎた。
本機はD.500シリーズの流れの一環で最初はフランス陸軍からは認められず、ドボアチン社の自主開発であった。 その時点ではフランス陸軍はモランソルニエMS405を発注しており、他の戦闘機を開発する必要を認めなかったのである。 コクピットは開放型であった。 ドボアチン社は1936年に行われた国有化でSNCAM社に吸収されてしまったが、新会社のもとで生産は急ピッチで上がり1940年6月時点では日産10機に達していた。
1939年4月にはすべてのテスト飛行が終わり、200機が発注され、1940年4月までには合計2,320機がオーダーされ、月産350機の計画であった。 しかしエンジントラブルや仕様変更が相次ぎ生産は進まなかった。 1940年一月までにわずかに13機、4月までに139機が完成しただけであった。 フランスの降伏後はドイツの手によって生産が続けられ、イタリア軍やブルガリア軍で使われた。
形式: 単座戦闘機 エンジン: イスパノスイザ 12Y45 液冷式 920馬力 最大速度: 425km/時(海面), 535km/時(高度 6,000m ) 巡航速度 370km/時 航続距離:900km 上昇時間: 5分49秒(3,000mまで) 上昇限度:11,000m 自重:2,092kg 全備重量:2,783kg 全幅:10.2m 全長 8.76m 武装:イスパノスイザ HS404 20mm 機関砲1門、7.5mm MAC機関銃4挺 生産台数: 910
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 William Green “War Plane of The Second World War Vol.1” Doubleday & Company, 1960 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978 Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7” Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 MACH 1 (l’encycropedie de l’aviation) Vol.7 Editions Atlas