第二次大戦が始まる直前のフランスの航空機生産は僅か月に40機であった。 第一次大戦のころは世界最大級の航空機生産国であったのに、その後の世界の趨勢を見誤ったのである。ドイツが急速に空軍力の増強を図っている間フランスは空軍の増強をないがしろにしてドイツとの国境線にマジノラインという要塞の建設に国力を費やしたのである。 マジノラインは技術的は世界最高峰といえるものであったが、戦略的にはまったくの無用の長物であった。 ドイツの戦車隊はマジノラインを迂回してベルギー経由で侵入してきたのである。 フランス空軍がようやく創設されたのは1936年のことでそれにともない無数にあった小さい航空機製造会社をすべて国有化し整理統合されたが、統合のやり方は単に地理的に近いものをまとめてひとつの会社にするというもので、各々の特徴を生かしたものではなかった。 さらに行政の不手際もあって各部門の調和がとれず、機体はあってもエンジンが間に合わない、あるいはプロペラなしの飛行機がならんでいるというありさまであった。 アメリカにその供給先を求めたが間に合わず、大戦が始まったときには1200機の第一線機を保有していたがその多くは稼働できない状態にあった。