ドルニエ Do 17E 

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モデルは AIRFIX製 1/72

1930年代なかば頃よりドイツが流麗な機体を持ち戦闘機より速いといわれる爆撃機を持っているらしいという情報が伝わってきた。 その存在が始めて確認されたのは1935年10月、Do 17の試作機がビュッケベルグで公開されたときである。 しかし一般に知られるようになったのはその2年後、スイスのチューリッヒで行われた国際飛行コンテストで他国の戦闘機より速いことを実証してみせたときであった。   当時ドイツでは高速爆撃機の開発により、速度で敵戦闘機の追撃を振り切ることができるという思想が優勢でありドルニエ Do 17はこのような状況で生まれたものである。 しかし本来は爆撃機でありながら当初は民間旅客機の仮面をかぶって開発されたハインケル He 111とは違って、ドルニエ Do 17はルフトハンザ航空の要求に基づいて開発された6人乗りの旅客と郵便の高速輸送機であった。 構造は全金属製で際立った特徴は後に“空飛ぶ鉛筆”とあだなされるほど細い胴体である。  試作機の初飛行は1934年秋、3機がルフトハンザに評価のため引き渡された。 性能は要求を満たしてはいたものの、ルフトハンザ側では旅客機としては客室が狭すぎてとても実用にならないと判断、3機ともドルニエ社に返却してしまった。 おりしも以前ドルニエの従業員でいまはルフトハンザに所属、ドイツ空軍との橋渡しを勤めているウンツヒトなる人物がDo 17を操縦してその性能に魅せられ、これを爆撃機として使うことを進言した。 ドルニエ側では懐疑的であったがドイツ空軍から4号機を爆撃機として改造する命令を受け1935年夏、はじめての爆撃機型が完成したのである。 当初はBMW VI 空冷660馬力であったがイスパノスイザ 12Ybrs 液冷860馬力エンジンを装備した5号機は最高速度389km/時を記録した。 当時就役しはじめたばかりのイギリスのゴ-ントレット戦闘機の最高速度が368km/時の時代にである。 そして1936年春、最初の量産型 Do 17E-1が登場、ドルニエ社は将来の大量生産を見越して機体を多くの部分に分割して下請け企業に生産を委託できるように設計変更を進めた。  1937年春から各部隊に配備が始まり、市民戦争下のスペインに送られ実戦テストを受けた。 そこでは偵察機として使われ、持ち前の高速で敵戦闘機を容易に振り切り、高速爆撃機優位説を裏付けることとなったが、すぐにソ連製の新型戦闘機が多数出現しこの説は早くも覆さざるをえなくなったのである。    

 
性能諸元(Do 17E)

形式: 中型爆撃機   エンジン: BMW VI 712気筒液冷750馬力2基   最大速度:352km/時(海面), 313km/時(高度 4,000m)   巡航速度 261km/時   航続距離:1,491km 上昇限度:5,099m  自重:4,504kg 全備重量:7,046kg  全幅:18.00m  全長:16.25m  武装:7.9mm 旋回式機関銃3挺、爆弾 750kg   生産台数:1,200(各型合計)

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 William Green “War Plane of The Second World War Vol.10” Doubleday & Company, 1960 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978 Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7” Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “Combat Aircraft of World War 2 1933-1937”