ユンカース Ju 87B 

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モデルは MATCHBOX製 1/72

第二次大戦勃発当初のドイツ電撃作戦ではJU87スツーカほど有名を馳せた航空機はないといってもよい。 翼を広げた猛鳥を思わせる怪奇なスタイルで垂直に近い角度で急降下、正確無比の爆撃を行い、進撃する機甲師団の尖兵となって敵を恐怖に落とし入れた。 スツーカとはドイツ語で急降下爆撃機を意味する一般の用語であるが、おかげでJU87を意味する言葉となった。 ドイツにおける急降下爆撃機のアイデアは第一次大戦のエース、ウーデットが1931年にアメリカを訪れたときにさかのぼる。 クリーブランドで行われたエアショウでカーチス.ホーク戦闘爆撃機が垂直に近い角度で急降下し、模擬爆弾を小さな目標に命中させるのを見てこのアイデアに魅せられたのである。 さっそくゲーリングに相談し、ホークを1機購入し、1933年暮れにはこれを飛ばして実演して見せ、急降下爆撃機の開発が進められることになった。 おりしも単座戦闘機として開発されていたヘンシェルHS123がこの目的には好都合だったので、とりあえずこれで急降下爆撃の訓練を始めさせた。 一方本格的な急降下爆撃機を開発すべく新しい仕様が1935年1月発布され、アラド、ハインケル、ユンカ―スの3社に命令が下った。 その3ヶ月後にはJU 87の試作機が完成しテスト飛行を開始した。 エンジンはロールスロイス.ケストレル12気筒液冷(525馬力)、2翔の木製プロペラを駆動した。 一号機は急降下テスト中に地表に激突、ユンカ―ス.ユモ.エンジン装備の2号機は完成していたが、この事故の原因調査のため遅れ、飛行テストを再開したのは8月終わりであった。 急降下爆撃機の構想は反対者も多くそのひとりであった航空開発技術センターの長であったヴォルフラム.フォン.リヒトホーフェンは1936年6月、JU 87の開発を中止する指令を密かに出していた。 ところが熱心な擁護者であったエルンスト.ウーデットが技術センターの責任者になったため、リヒトホーフェンの命令を撤回しまた開発を進めることになった。 JU 87はアラドとハインケルの競争試作であったが、これは形式にすぎず事実上はユンカ―スの独断場であった。 ユンカ―ス.ユモ210エンジン(600馬力)を搭載した量産型はJU 87Aとして1936年暮れに姿を現し、翌年春から HS123 からの編成替えが始まった。 1937年後半、3機がスペインに送られ共和国軍相手に実戦にデビューした。 初期の型ではパイロットは急降下を開始する前にエンジンのスロットルを絞り、過給機を低空用に切り替え、プロペラピッチを切り替える作業をし、爆弾を投下して引き起こしに入ったとき一連の逆の操作をしなければならなかった。 その後はこの作業は自動的に行われるようになった。 エンジンをユンカ―ス.ユモ 211A(975馬力)に換装したB型が1938年から作られ、10月には再び5機がスペインに送られ実戦テストをされた。 1939年半ばまでには生産は毎月60機のペースに達し、第二次大戦勃発時には336機が配備されていた。 ドイツ空軍の中でも第二次大戦が始まる前にすでにJU 87の旧式化を危ぶむ声もあり、1939年終わりまでには生産を終了する計画もあったが、ポーランド侵攻作戦のめざましい活躍とゲーリングの後押しで逆に生産を増強することになった。 翌年春のフランス侵攻作戦までは圧倒的制空権でその弱点が暴露されることなくいままでどおり威力を発揮したが、夏のバトルオブブリテンでは英戦闘機の好餌となって大損害を受け、そうそうに前線から後退するうきめにあったのである。 それでもJU 87に対する信奉者が多く、また後継機に適当なものがなかったので生産はさらに継続した。 1941年、対ロシア作戦が開始された当初は再び活躍したが、ロシア戦闘機の活動が活発化するにつれJU 87の活動範囲は夜間かあるいはドイツがまだ制空権を維持している範囲だけに狭まっていった。 対戦車に対する爆撃もあまり有効でないことが分かったのである。 装甲の厚い戦車に対しては直撃しないことには破壊は難しく、高速で動き回る戦車に直撃弾を与えることはいかに急降下爆撃の精度が高いといっても難しかった。 このことはソ連侵攻作戦が始まって4日目に早くも暴露された。 36機からなるJU 87部隊が60台のソ連戦車を攻撃したとき、破壊されたソ連戦車はわずか1台であったのである。 そこで2門の37mm砲を装備したG型が1943年から登場し、対戦車攻撃に大成功を収めた。 しかしこの成功も長くは続かなかった。 重い37mm砲を搭載したJU 87はさらに低速、鈍重でソ連戦闘機が活動する地域では行動できなかったのである。 昼間の作戦は戦闘爆撃機タイプのFW190に置き換えられ、JU 87は夜間作戦だけに使用されるようになった。  

 
性能諸元(Ju 87B)

形式: 急降下爆撃機   エンジン:ユンカ―ス.ユモ 211Da 1,200馬力   武装:7.9mm MG17機関銃2挺、7.9mm MG15旋回式機関銃1挺、爆弾 500kg   最大速度:340km/時(海面)   巡航速度 282km/時   上昇時間:4分18秒(2,000mまで)   上昇限度:8,000m   航続距離:790km   自重:2,710kg   全備重量:4,340kg   全幅:13.8m   全長:11.1m   生産台数:5709

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
William Green “War Plane of The Second World War Vol.10” Doubleday & Company, 1960
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.14”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “Combat Aircraft of World War 2 1933-1937”
MACH 1 (l’encycropedie de l’aviation) Vol.5 Editions Atlas
William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970
Lt-Col A.J.Barker “STUKA JU-87” Bison Books
“Jane’s All the World’s Aircraft 1945” Collector’s Edition
Brian Johnson “Classic Aircraft” Channel 4 Books, 1998
Alfred Price “The Bomber in World War 2” Purnel Book Services Ltd. 1976
Ronald W. Clark “The Role of the Bomber” Griffin Press Ltd., Toronto 1977
Jeffrey L. Ethell “The Great Book of World War 2 Airplanes”, Crescent Books, New York 1996