アラド Ar 68 

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モデルは CMK製 1/72
レジンキット

第一次大戦の敗戦の結果、ドイツはベルサイユ条約によって航空機の生産を厳しく制限されていたが、水面下では密かに開発が進められていた。 当時の戦闘機メーカーはハインケルとアラドの2社で、1933年にはアラドの最初の戦闘機Ar65の生産が始まっていた。 Ar68はAr65の後継機として開発が進められたもので、複葉、単座、開放型コクピット、固定脚。 胴体は溶接鋼管の骨組みに羽布張り、翼は木製骨組みに羽布張りの構造。 当時のアラド社の特徴で水平尾翼は垂直尾翼よりずっと後に配置され昇降舵は左右がつながった一枚構造になっていた。 武装は7.9mmMG17機関銃2丁(各銃500発)。 初飛行は1934年。 当初はBMW V1エンジン(550hp)を装備していたが、期待を裏切る性能であったため、ユンカース ユモ 210A(670hp)エンジンに換えられた。 アラド社は当然Ar68が従来の主力機種であったハインケルHe51に置き換えられるものとして工場を拡張してこれに備えていたが、軍当局は当面の需要にはHe51で十分であると考えていたのでこの機種にはやや冷淡であった。 それにHe51より早い着陸速度がパイロット達から嫌われた。  第一次大戦のエースで今はパイロット養成の審査官になっていたエルンスト.ウーデットが1936年にAr68に搭乗して模擬空戦を行い、He51に対して圧倒的な優位を示したことでようやくAr68の未来は明るいものになった。  ユモエンジンの生産が遅れたため、BMWエンジンに逆戻りしてAr68F型として生産が始まり、1936年から就役した。  低出力のBMWエンジンに戻ったことで性能が低下し、スペイン市民戦争でソ連のI-15戦闘機に比べほとんどの面で劣っていることが判明しているHe51に比べなんら優れているところがなくなってしまった。  あわてた軍当局はユモエンジンをAr68に優先的に割り当てて、Ar68Eとして1937年初めから第一線に配属した。 しかし既に全金属製、低翼単葉の近代的なBf109が姿を現しており、戦闘機としてのAr68の寿命は短かった。 すぐに練習機の地位に後退し第二次大戦が始まった1939年9月時点では、第一線には夜間戦闘機隊二個中隊に残っているだけとなった。

 
性能諸元(Ar 68)

形式:単座戦闘機  エンジン:BMW V1 液例12気筒 離昇出力 550 hp、 武装: 7.9mm MG17機関銃 x2(携行弾数各銃500発)  最大速度 328km/時(海面) 320km/時(高度2,650m)  海面上昇率:672m/分   上昇限度:7,400m   航続距離:500km   自重:1,521kg  全備重量:1,952kg  全幅:11.00m   全長:9.44 m  生産台数:約680

参考文献

Bill Gunston “The Illustrated Encyclopedia of Combat Aircraft of World War 2” Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970 Michael Sharpe “Biplanes,Triplanes and Seaplanes” Prospero Books, 2000