Bf-109Eは合計3万機以上も作られたBf-109シリーズの最初の本格量産型であり、1940年のバトルオブブリテンではドイツ戦闘機の代表としてイギリスのスピットファイアやハリケーンと渡り合ったのはこの型である。 設計者の名前であるメッサ-シュミットという言葉がドイツ戦闘機の代名詞となったのはこのときからである。 E型の初飛行は1938年夏、エンジンはダイムラー.ベンツDB601A(1,100馬力)で燃料直接噴射システムを持っていた。 前線には翌年春から配備が始まった。 標準的な武装は7.9mm MG17機関銃2挺と20mm MG FF機関砲2門であった。 第二次大戦が始まった1939年9月には1,056機のBf-109Eが第一線にありドイツ戦闘機隊の中核をなしていた。 この年の暮れにはプロペラシャフト内にもう1門の20mm機関砲が備えた型の生産が始まり、1940年春には月間生産台数は150機に達した。
イギリス空軍との最初の交戦は9月4日、ウェリントン爆撃機を撃墜したときであった。 その月の終わり、Bf-109Eは5機のフェアリー.バトルと交戦、うち4機を撃墜した。 以降バトルは夜間作戦にのみ使用されるようになった。 その年の12月、大規模な空戦が展開された。 ドイツ本土の強行偵察を試みた24機のウェリントン爆撃機をBf-109とBf-110の1隊が迎え撃ち12機を撃墜した。 残余のウェリントンのうち3機は損害を受け不時着、大破した。 ドイツ側の損失は2機に過ぎなかった。 これによりイギリスは戦闘機の援護無しでは爆撃隊の昼間行動は不可能なことを知り、主に夜間爆撃に切り替えたのである。
1940年5月、不時着した1機のBf-109Eがフランス軍の手に落ち、イギリスに輸送された。 すぐにテストが行われ、ハリケーン戦闘機は低空での運動性を除いてすべての点で劣ることが確認された。 スピットファイアは運動性においては優っているが、高度6,000m以下では上昇力に劣り、それ以上の高度でもBf-109Eは態勢が不利になるといつでも急降下で離脱することができた。 キャブレター付エンジンも持つイギリス機は急な急降下態勢に入ると一時的に燃料の供給が止まってしまうのに対し、直接燃料噴射装置を持つBf-109Eのエンジンはそのような欠点がないためであった。
フランス空軍は大戦の始め、いわゆる‘まやかしの戦争’の間はBf-109Eに遭遇することも少なく、彼らが持つモラン.ソルニエ MS-406やアメリカ製のカーチス ホーク75Aでも十分対抗できると考えていた。 これが間違いであることが5月のベルギー、フランス侵攻作戦が始まると判明した。 しかしBF-109Eにも重大な欠点があったのである。 それは航続距離が短いことであった。 ドイツ機甲師団がフランス国内を急速に進撃するにつれ前線の基地が間に合わないことから後方より発進せざるをえない状況が続いたのである。 ダンケルクで撤退する英仏軍を追い詰められなかったひとつの原因はドイツ戦闘機隊の航続距離がみじかく爆撃隊を十分に護衛できなかったためとされている。 とくにスツーカ爆撃機がイギリス戦闘機隊にさんざんにやられたのである。 やがてこの欠点が8月に始まったバトルオブブリテンでも露呈されることになる。 フランス侵攻作戦で得られた戦訓が生かされパイロット保護のため8mmの防弾板が追加された他いくつかの改良が行われた。 またプロペラシャフトを通じて撃ち出す20mm機関砲は発熱と振動問題が大きいため最終的に撤去された。 航続距離延長のため補助落下タンクが試作検討されたが燃料もれがひどく実現しなかった。 また爆撃機が戦闘機を曳航していき目的地近くで切り離すという案も実験されたが結局実現にはいたらなかった。 8月イギリス侵攻作戦が始まった当初はBf-109Eはイギリス空軍に対して有利に戦いを進めることができた。 ドイツ空軍はスペイン内乱の実戦参加経験から2機単位で行動する柔軟なロッテ戦法を編み出していたのに対し、イギリス戦闘機隊は従来からの緊密な3機編隊構成をとっていたため圧倒されることが多かったのである。 しかしイギリスもドイツの戦法を採用するようになりまた攻撃をドイツ爆撃機に集中するようになって異変が起きた。 増大する爆撃機の損害に憂慮したゲーリングはドイツ戦闘機隊に密着援護をするように命令した。 これは優れた急降下速度と上昇力を生かした戦法を得意とするBf-109Eの特長を削ぐものであり、戦闘機隊の損害は急上昇した。
イギリス侵攻作戦が中止された時点でのドイツ戦闘機隊の損失はBf-109Eが610機、Bf-110が235機であった。 これに対してイギリスは403機のスピットファイア、631機のハリケーンを失っている。
形式: 戦闘機 エンジン:ダイムラー.ベンツ DB 601Aa 液冷1,175馬力 最大速度:467km/時(海面), 560km/時(高度 4,440m) 巡航速度 483km/時 航続距離:660km 上昇時間:1分6秒(1,000mまで) 上昇限度:10,500m 自重:1,900kg 全備重量:2,665kg 全幅:9.87m 全長:8.64m 武装:20mm MG FF機関砲3門、7.9mm MG17機関銃2挺、 生産台数:30,500(各型合計)
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
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