ハインケル He100 

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モデルは REVELL製 1/72

ハインケル社のHe112がメッサーシュミットBf 109との競争に敗れ、さらにウーデット将軍から戦闘機の開発はメッサーシュミットに委ねるからハインケルは爆撃機に専念すべしとの通告を受けていたのにもめげずハインケルは戦闘機開発をあきらめなかった。 ドイツ空軍がBf 109の後継機の開発を計画するとの情報を受け、自主プログラムとして1937年に開発が始まったHe100戦闘機の試作第一号機は1,100馬力のダイムラーベンツDB601Aエンジンを搭載して1938年1月に初飛行した。 He 112のときの経験を活かし、He 100は構造を簡素化して部品点数を減らして製造を容易にすることに徹した。 Bf 109で評判の悪かった狭い主脚間隔を考慮し、主脚の間隔を広く取り内側に引き込むようにした。 さらに空気抵抗を減らすために突き出した冷却器を無くすために独創的な表面蒸発による冷却システムを採用した。 これらの努力によりHe 100は非常にすっきりした機体に仕上がり、ハインケルはウーデットに本機の存在を知らせた。 その年の6月にウーデット将軍が操縦して国際100km周回コースで時速643.7kmの新記録を樹立し、さらに1939年3月には時速746.6kmを出し、ドイツとしては初めてのスピード世界記録を樹立したのである。 これらの成功にもかかわらずドイツ空軍はHe100をメッサーシュミットBf109の後継機種と認めようとはしなかったが外国に輸出するのは認めた。 ハインケルは長年の客である日本海軍からの購買使節団がやってくる直前、同じ日にソ連の一団も訪れることになっていることを知らされた。 ソ連からは重要な戦略的資源の供給を受けているし、ソ連と日本の微妙な関係を知っているドイツとしては両国の使節団がはちあわせしないよう計らうよう要請してきた。 He100の蒸発型冷却システムに多大の関心を示したソ連は3機を購入した。 日本海軍も3機のHe 100を購入するとともにライセンス生産の契約も結んだが、その時点ではヨーロッパの戦局が進んでおり製造のための図面や冶具などが輸送不可能になっていた。。    

 
性能諸元(He 100D-1)

形式: 単座迎撃戦闘機   エンジン: ダイムラーベンツDB601Aa 液冷1,175馬力   最大速度: 573km/時(海面), 666km/時(高度 5,000m) 巡航速度 635km/時(高度5,000m)   航続距離:885km   上昇時間 2分12秒(高度2,000mまで)  上昇限度:11,000m   自重:1,811kg   全備重量:2,502kg   全幅:9.42m   全長:8.2m   武装:20mm MG FF機関砲1門、7.9mm MG17機関銃2挺 、 生産台数: 各型合計 10

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 William Green “War Plane of The Second World War Vol.1” Doubleday & Company, 1960 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978 Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Vol.4 Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970