ハインケル He 51 

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モデルは ハセガワ製 1/72

ドイツに対して軍用機の開発を禁じたベルサイユ条約が有名無実化するに伴いハインケル社は戦闘機の設計に意欲を燃やし始めた。 1928年には試作機He37が当時のイギリス空軍の最新鋭戦闘機ブルドッグより32km/時も速い310km/時を記録していたし、1930年代に入っては表向きはスポーツ機ということになってはいたが本格的な戦闘機の能力を持つ試作機He49が作られた。 750馬力のBMW VIエンジンを装備した同機は1932年11月初飛行、最高速度320km/時を出した。 これがHe51と名称が変って戦闘機の正体を現したのである。 He51はAr65についで、再建されたドイツ空軍の2番目に正式採用となった戦闘機で、1935年3月再建が公表されたドイツ空軍に配備された。 1936年、スペイン内乱が始まるやヒットラーはファシスト側を援助することを約束し、内乱勃発後わずか3週間後の8月7日には観光旅行団と称し85人の要員と6機のHe51を送り込み、スペイン人操縦士の訓練を開始した。 早くも8月18日にはスペイン人の操縦するHe51が共和国軍のフランス製ニューポール52、ブレゲー19などを4機撃墜するという華々しい戦果をあげた。 この高性能に魅せられてスペインのファシスト軍があらたに30機を発注し2個中隊に配属した。 その年の11月にはドイツ人が操縦するコンドル軍団にも36機のHe51が配備され作戦活動を始めたが、He51の好調は長続きしなかった。 11月にはソ連から送り込まれたI-15戦闘機が共和国軍側に姿を現したのである。 I-15は速度、上昇力、運動性とあらゆる面でHe51を凌いでおり、しかも機関銃2挺装備のHe51に比べてI-15は4挺を持ち携行弾数も多かった。 さらにソ連製戦闘機はドイツにはない操縦者防御の防弾板まで備えていたのである。 この結果He-51は主に地上攻撃任務に転向せざるをえなくなった。 コンドル軍団に志願したあるドイツ空軍パイロットは勇躍してスペインに来たもののHe51ではソ連製のI-15相手に空中戦をすることを禁じられているのを知りがっかりしたという手記が残っている。 この事態を憂慮したドイツ空軍は試作が終わったばかりのBf109を急遽派遣することになったのである。 He51は第二次大戦が勃発する前には第一線から退いていたが、高等練習機としては1943年まで使われた。

 
性能諸元(He 51B)

形式:複葉単座戦闘機  エンジン:BMW VI7.3Z液例12気筒 750馬力  武装:7.9mm MG17機関銃2挺(携行弾数各銃500発)   最大速度:328km/時(海面)  巡航速度:278km/時 上昇時間:3分6秒(2,000m)  上昇限度:7,700m   航続距離:566km  自重:1,474kg  全備重量:1,902kg   全幅:11.00m  全長:8.40 m  生産台数: 725

参考文献

Bill Gunston “The Illustrated Encyclopedia of Combat Aircraft of World War 2” William Green “War Plane of The Second World War Vol.9” Doubleday & Company, 1960 Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Vol.12 William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970 Ed.: David Donald “Encyclopedia of World Aircraft” Prospero Books 1999 Michael Sharpe “Biplanes,Triplanes and Seaplanes” Prospero Books, 2000 Eric Mombeek “Luftwaffe Colours” Vol.1 MACH 1 (l’encycropedie de l’aviation) No.67