水面下で密かに再建中のドイツ空軍の最初の拡張プログラムが1934年1月に始まり、少なくとも7機種が向こう2年間に開発されることになっていた。 He59はそのひとつであるがHe59自身は1930年にすでに計画が始まっていた。 当時としては極めて大型の航空機で水上機型と陸上機型が設計された。 最初の試作機のうち1機はフロート付きの水上機、他の1機は陸上機として作られた。 両方とも表向きは民間用輸送機ということであったので武装は搭載されなかったが、真の目的は沿岸哨戒、雷撃であった。 初飛行は1931年9月。 1933年から水上機型が標準となり冒頭の拡張プログラムの一環として21機が発注された。 ハインケル社の標準ともいえる溶接鋼管に羽布張りの胴体、木製骨組みに羽布張りの主翼といった構造で、エンジンはBMW VI6.0水冷12気筒で4翔の木製プロペラを駆動し、二つのフロートは燃料タンクにもなっていた。 乗員はパイロット、無線士、航法士、銃手の4人。 武装は機首と胴体後部上方と下方にそれぞれ7.9mm MG15機関銃を備え、爆弾槽には500kg爆弾あるいは1000kg魚雷を懸架できるようになっていた。 1934年夏から就役が始まり、スペイン内乱が始まるとコンドル軍団に送られた。 ファシスト軍と共和国軍の両方から“大靴”というあだなをたてまつられ、主に夜間爆撃に多用された。 戦法は高度3000mを飛行し、対空砲火を避けるために目標近くでエンジンを止め、滑空で音も無く接近して爆弾を投下するというものであった。 第二次大戦が勃発した当時、30機のHe59が第一線にあったが旧式化は覆いがたくすぐに練習用、救助用の後方任務についた。
第二次大戦での最も華々しい活躍は1940年5月のオランダ占領作戦の時である。 まず空挺部隊がロッテルダム近くの飛行場を確保したがロッテルダム市内にあるいくつかの重要な橋をオランダ側に破壊される前に確保する必要があった。 この種の作戦はなによりも奇襲が大切である。 5月10日朝の7時、特殊部隊を乗せた12機のHe59は目標の橋の両側の川に着水、躍り出た特殊部隊が橋を確保したのである。
バトルオブブリテンでは英仏海峡で全面を白で塗装され赤十字のマークをつけた機体が海上に不時着したパイロットの救助活動にあたった。 しかし本当の目的はイギリスにスパイを送り込んだり、テ-ムズ河口に機雷を敷設することであると噂された。 確固たる証拠は無かったがイギリスはドイツに警告を与え、続いてイギリス戦闘機がHe59の何機かを撃墜するにおよんでこの活動は取りやめになったのである。
形式:四座雷爆撃兼偵察水上機 エンジン:BMW VI6.0 ZU液例12気筒 660馬力 武装:7.9mm MG15旋回式機関銃2挺(携行弾数各銃975発) 7.7mm MG15旋回式機関銃1挺(携行弾数675発) 500kg爆弾2個または1,000kg魚雷1個 最大速度:219km/時(海面) 巡航速度:184km/時 上昇時間:4分42秒(1,000m) 上昇限度:3,500m 航続距離:1,520km(補助タンク付き) 自重:5,004kg 全備重量:9,108kg 全幅:23.70m 全長:20.88 m 生産台数:140
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Vol.12 William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970 Ed.: David Donald “Encyclopedia of World Aircraft” Prospero Books 1999 Michael Sharpe “Biplanes,Triplanes and Seaplanes” Prospero Books, 2000 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978 William Green “War Plane of The Second World War Vol.6” Doubleday & Company, 1960 MACH 1 (l’encycropedie de l’aviation) No.67