1930年代初めまでは短距離偵察機とか地上共同機といった機種は適当に間に合わせの機体を使うのがどこの国でも普通であったが、近代戦において航空機による偵察の重要性が理解されるようになって専用の機種が開発されるようになった。 この目的では敵戦闘機に遭遇したり、濃密な地上砲火に長時間さらされることはまれであるので最重要な性能要件は狭い飛行場から離着陸できること、下方視界が良いこと、低速で操縦安定性がよく操縦者が偵察に専念できること、危険な地域から急速に脱出するためにエンジン馬力に余裕があることなどであった。 1936年になってドイツとイギリスは期せずして同じ結論に達し、似たような機種を開発した。 イギリスはライサンダー、ドイツがHs126である。
Hs126はハインケルHe46の後継として設計されたもので1936年秋初飛行した。 エンジンは最初ユンカース ユモ210 液冷12気筒(600馬力)であったが、後にBMW132Dc 空冷9気筒に換えられた。 プロペラはVDM可変ピッチ3翔。 構造は全金属製、操縦席は風防で囲われ、胴体後部にはツアイス製の自動カメラを装着し、爆撃任務のときはカメラの替わりに10kg爆弾5個を搭載できた。 1938年秋6機のHs126が最終段階にあったスペインの市民戦争に送られ極めて優秀な性能を示した。 おりしもヘンシェル社はHs123の生産が終了して能力が余っていたのでHs126生産のピッチは急速に上がり開戦前にはほとんどのHe45,He46は本機で置き換えられていた。 1939年9月時点でドイツ空軍は275機のHs126を保有しており、ポーランド侵攻作戦では偵察に、地上機銃掃射にあるいは爆撃にと広範囲に活躍した。 ここでは相手の対空砲火の貧弱なことと戦闘機による迎撃が少なかったことが幸いして損害は軽微であったが、翌年の西部戦線では敵戦闘機の反撃が激しく損害は急上昇した。 本機の限界が近づいているのが明らかであったし、後継のFw189の量産が始まったため、生産は漸次減少し1941年始めには完全に終了した。 1942年半ばからHs126はしだいに第一線から姿を消しグライダー牽引のような後方任務についたが、東部戦線で旧式機をかり集めて夜間安眠妨害作戦が始まるとHs126も参加することになった。
形式:複座偵察兼地上支援機 エンジン:BMW 323A-19気筒空冷 離昇出力850馬力 武装:7.9mm MG17固定機関銃1挺(携行弾数 500発) 7.9mmMG15旋回式機関銃1挺(携行弾数975発) 最大速度:353km/時(高度3,000m) 巡航速度:302km/時(高度2,000m) 上昇時間:3分30秒(高度610mまで) 上昇限度:8,230m 航続距離:666km 自重:2,034kg 全備重量:3,273kg 全幅:14.50m 全長:10.85m 生産台数:810
William Green “War Plane of The Second World War Vol.9” Doubleday & Company, 1960 Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Vol.13 William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970 Ed.: David Donald “Encyclopedia of World Aircraft” Prospero Books 1999 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978