1930年代後半、宣伝目的のためドイツは飛行記録樹立にやっきとなっていた。ほとんどの記録は現存する航空機によって作られたが、Me 261の設計は最初から長距離飛行の記録樹立を目的として1937年に始まった。 オリンピックのトーチをベルリンからつぎの開催地東京まで無着陸で輸送するのが当初のもくろみであった。 このような宣伝に絶好の航空機はヒットラー好みであったため3機の試作機が発注された。
Me 261の機体構造そのものはオーソドックスなものであったが、数多くの新機軸が盛り込まれていた 。たとえば主翼の内部はシールされ燃料タンクとして使われていた。 角型の断面を持った胴体には操縦士と副操縦士がならんで座り、無線士がその後ろに座った。搭乗員は全部で5人である 。エンジンは2基のダイムラー.ベンツDB606A-1であった。これはDB601エンジンを2基並列にならべ駆動歯車を通してひとつの大型プロペラを駆動する構造であった。 試作機の製作は1939年春に始まったが本機に対する優先度が低かったため作業はゆっくりであり、しかも第二次大戦の始まる前の月にはまったく停止された。 作業は1940年夏にふたたび始められ、試作第一号機は1940年12月に初飛行した。第二号機は翌年春に飛行したが、このとき本機を長距離海洋哨戒機として用いる計画がもちあがった。 しかし軍用につかうための防御火器の装備が困難であったため、結局本来の目的のためのテスト飛行がつづけられた。 試作機は1944年の連合軍の爆撃で破壊されてしまった。
形式: 長距離偵察機 エンジン:ダイムラー.ベンツ DB-610A-1/B-1液冷2,950馬力2基 最大速度:490km/時(海面), 620km/時(高度 6,500m) 巡航速度 400km/時 航続距離:11,000km 上昇限度:8,260m g 全幅:26.87m 全長:26.69m 武装:7.7mm 旋回式機関銃1挺、 生産台数: 3
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970