メッサーシュミット Me 321 

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モデルは ITALLERI製 1/72

1940年10月12日、シーライオンと呼ばれていたイギリス征服作戦がヒットラーの宣言で公式に無期限中止ということになり、替わりにソ連侵攻が最優先事項となったがイギリス侵攻作戦がまったく忘れられてしまったわけではなかった。 ヒットラーはソ連征服は数カ月で完了し、その後シーライオン作戦に再度とりかかる腹づもりであったのである。 しかしバトルオブブリテンの結果、シーライオン作戦の前提であった、イギリス空軍を壊滅させ圧倒的な制空権のもとに陸上兵力をイギリスに上陸させるという計画は事実上不可能であることが分かったので、超大型のグライダーを使って戦車、重砲などを含む大兵力を短期間にイギリス本土に送り込む計画が考えられた。 1940年10月半ばメッサーシュミット社とユンカース社に2週間以内に具体的な開発計画を提出するよう求められた。 両社ともにこの気違いじみた日程に応じ11月6日には設計案を提出したところただちに200機のグライダーの生産を命じられたのである。 型式名はそれぞれMe263とJu322が与えられ、Me263は溶接鋼管構造、Ju322は全木製構造とすることが指定された。 文字通り不眠不休の24時間体制で臨みメッサーシュミット社の作業は順調に進んだ。 一方ユンカース社では全木製の飛行機を作った経験がなく、しかもこのような巨大機を作るための大きな材木を入手する問題が解決できず、計画は大きく遅延することになった。 開発命令を受けて14週間後の1941年2月メッサーシュミット社はMe263の試作第一号機を完成させた。 大きさではソ連のツポレフANT-20には劣るものの世界で2番目に大きい機体をこのような短期間で完成させたことは偉大な成果であった。 この2週間前にドイツ空軍当局はMe263の型式名をMe321に変更している。   ギガントという愛称(英語のジャイアントに当たる)を与えられた本機は離陸を助けるために30秒間動作するロケットエンジンを30個まで付けることができ、また着陸時に減速を早めるために胴体の尾部に小さなパラシュートを作動させるようになっていた。  1941年2月25日、最初の飛行テスト時はユンカースJu904発輸送機に牽引されて行われた。 操縦桿が重いものの飛行はかなりスムーズであることが確認された。 しかし長時間の飛行を考えると交代する操縦士が必要であることが分かり101機以降は副操縦士用の装置が追加されることになった。   Me263の最大の問題は離陸するとき牽引に使われる飛行機の選定であった。 Ju90では馬力不足であり、替わりに3機のMe110双発戦闘機が検討されたが、これは1機のMe321グライダーを3機の戦闘機で引っ張るもので、曲芸飛行といわれるほどパイロットに高度の熟練が要求される危険極まりない作業で、テスト中にグライダーが牽引する3機の戦闘機もろとも墜落するなど大事故が相次いだのである。   この危険とともにもう一つの問題はコンクリート舗装の1200mの滑走路が必要であるという点であり、さらに一度に1機のMe321しか離陸できないということもあった。 1941年12月までにMe321は東ヨーロッパ戦線で数回兵員と貨物輸送に使われたが、明らかになったことは自力で離着陸できる能力を持っていなければこの主の輸送グライダーは役に立たないということであった。 ドイツ軍のスターリングラード撤退時に使われる予定であったが巨体を移動させるのに手間がかかりすぎ思うようにはいかなかった。  

 
性能諸元(Me321B-1)

形式: 超大型グライダー  最大速度:219km/時   巡航牽引速度 139km/時  離陸滑走距離:1,200m   着陸滑走距離 400m   全幅:55.0m   全長:28.16m武装:7.7mm 旋回式機関銃3挺、  自重:12,210kg   全備重量:34,431kg   生産台数: 200

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.17”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970