メッサーシュミット Me 323 

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モデルは ITALLERI製 1/72

イギリス侵攻作戦のために開発された超大型グライダーMe321が1940年10月12日、ヒットラーの作戦中止宣言で公式に無期限中止ということになった。 替わりにソ連侵攻が最優先事項となったがイギリス侵攻作戦がまったく忘れられてしまったわけではなかった。 ヒットラーはソ連征服は数カ月で完了しその後イギリス侵攻作戦にとりかかる腹づもりであったのである。   Me321の最大の問題は離陸するとき牽引に使われる飛行機の選定であった。 1機で引っ張れる適当なものがなく苦肉の策で3機のMe110双発戦闘機が1機のMe321グライダーを牽引して離陸する方式が採用されていた。 現実にはこれは曲芸飛行といわれるほどパイロットに高度の熟練が要求される危険極まりない作業で、広い飛行場が使えしかも穏やかな天候に恵まれた日中でないとできない作業であった。 現に検討中にグライダーが牽引する3機の戦闘機もろとも墜落するなど大事故が相次いだのである。 とはいえMe321自体はドイツ空軍の要求仕様を完全に満足しておりメッサーシュミット社の評価を下げるものではなかった。   そこでドイツ空軍当局はMe321にエンジンを搭載し離陸を容易にするとともに、積み荷を降ろして軽くなった後は、自力で飛行してもとの基地まで帰ってくる能力を持たせることを計画した。 それでMe321にフランス製のノーム.ローヌ14N空冷エンジンを4基載せたものをMe323C、6基乗せたものをMe323Dとして1941年9月に製作させた。  試作機のテスト飛行は翌年3月に行われたが4発エンジンでは馬力不足が明瞭であったので6基のエンジンで進められた。 右側のエンジンのプロペラは右回転、左側のエンジンのプロペラは左回転させ、左右のプロペラのトルクを打ち消し飛行安定性を得るようになっていた。 Me323Dの初飛行は1942年10月である。 Me323によって運ばれる兵士達は布張りのMe323は敵弾を受ければすぐ燃え上がるのではないかと恐れていたが、実際は相当な銃弾を浴びても燃え上がることもなく飛行を続けることが可能であり、Me323は実用上はかなりよくできていた。 機首の大きく観音開きになるドア構造は大型の貨物の出し入れに便利であったし、貨物搭載時の重量配分するのも楽であった。  初仕事は1942年11月地中海方面のチュニスに対空砲、対戦車砲とその弾薬を輸送し、帰りは負傷兵の送還などに使われた。 その年の終わりには部隊のかなりの部分はソ連のスターリングラードにおける作戦のために引き抜かれ、地中海方面に残った輸送部隊は200機のユンカースJu52と15機のMe323だけになった。 このころには連合軍の戦闘機の活動が活発になり十分な戦闘機による護衛なしでは作戦遂行が不可能な状態になっていた。 Me323の生産は1944年4月に終了しそれまでに198機が生産されている。       

 
性能諸元(Me323E-2)

形式: 6発エンジン付き超大型輸送グライダー  エンジン:ノーム.ローヌ14N48/49空冷14気筒1,140馬力 6基   最大速度:251km/時(海面)   巡航速度 224km/時 航続距離:1,094km   全幅:55.0m   全長:28.16m   自重:29,085kg   全備重量:45,027kg   武装:20mmMG151旋回式機関砲2門、13mmMG131旋回式機関銃7挺   生産台数: 198

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.17”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
William Green “Warplanes of the Third Reich” Military Book Society, London 1970