フィアットBR.20は出現した当時は技術の最先端をいく航空機であり、生産は7年間も続いた。 500機以上が作られ第二次世界大戦ではイタリアの爆撃隊の中核をなす存在であった。 BR.20はアフリカ、ロシア、地中海方面を始めあらゆる戦線で使われた。 1940年にはベルギー駐在の部隊がイギリス攻撃に参加したが大損害を蒙ったうえ多くの戦果をあげることもできず終わった。
BR.20は多くのイタリア傑作機を生み出した技師セレスチノ.ロサテリによって1936年に設計された。 全金属製の低翼単葉、引っ込み式脚の近代的なものでエンジンは1,000馬力の空冷フィアット A.80 RC41が3翔の金属製プロペラを駆動した。 BR.20は当時イタリア空軍から出されていた仕様、最高速度384km/時、爆弾2,000kg、航続距離960km、を優に越えるものでありすぐに量産命令が出された。
最初の量産機のうち2機が長距離レース用に改造され1937年に行われたパリ-ダマスカス間のレースに参加した。 そこでは際立って好成績をおさめることはできなかったがそれでもその速度と航続距離の優秀性は十分証明された。 ついで1939年にはローマ-アデイス.アベバ間のレースで世界記録を樹立した。 イタリア空軍には1937年から配備されスペインの市民戦争に送られた。 イタリアが第二次大戦に参加した1940年にはイギリス海峡を越えて攻撃したがイギリス戦闘機の性能は格段に優れており80機中20機が撃墜されてしまった。 1943年には1,250馬力のフィアット A.82 RC32 エンジンを搭載した改造型BR.20bis が15機作られたが実戦に参加することはなかった。 BR.20は日本陸軍が85機を購入、中国相手の戦争に一時期使ったことがある。
形式: 中型爆撃機 エンジン:フィアット A.80CRC41 空冷1,000馬力2基 最大速度:440km/時(海面) 巡航速度 340km/時 航続距離:2,750km 上昇時間:25分0秒(6,000mまで) 上昇限度:8,000m 自重:6,500kg 全備重量:10,100kg 全幅:21.65m 全長:16.68m 武装:12.7mm ブレダSAFAT旋回式機関銃4挺、爆弾1,600kg 生産台数:602
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
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Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.6”
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Jonathan Thompson “Italian Civil and Military Aircraft 1930-1945”
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