戦争の現実はイタリアにとっては厳しいものであった。 イタリア空軍はいろいろな意味で過去に生きてきたともいえる。 イタリアが経験してきたのはエチオピア、スペイン内戦などの局地戦だけであった。 空軍力に対するイメージは近代戦に耐えうるものではなかったのである。 1940年後半、イタリアはベルギー上空で初めてイギリス空軍と正面から激突し、そこでみじめな敗戦を喫した。 主力のフィアットCR-42戦闘機は複葉で、しかも武装が貧弱で、スピットファイアやハリケーン相手では勝負にならなかったのである。 大戦が勃発したときイタリア空軍は1,800機の第一線機を保有していたが、戦闘機の半分以上は複葉機であり、残りも連合国機に比べ低速で武装が劣っていた。 イタリア人は日本人同様に格闘戦を好み低速でも運動性のいい戦闘機を選んだ。 戦闘に関する考え方が20年以上見直されることがなかったのである。 戦争が始まってからドイツのダイムラーベンツエンジンの技術を導入しマッキ MC-202, MC-205など連合軍の最新鋭機に匹敵する戦闘機が生みだされてきたが、生産能力が上がらず実効は上がらなかった。