フィアット CR.42 ファルコ

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モデルは MATCHBOX製 1/72

C.R.42ファルコはもっとも遅くまで作られた複葉戦闘機で、1939年に第一号機が生産ラインから出てきたときには他の国はすべて複葉機のアイデアを捨ててしまっていたのである。   C.R.42の初飛行は1938年5月。 公式テストの後イタリア空軍に正式採用され200機の発注を受けた。 エンジンはノ-ム.ローヌエンジンから発展したフィアット A.74 RC38空冷846馬力でハミルトン 3D可変ピッチプロペラを駆動した。 武装は最初は12.7mmと7.7mmの機関銃各1挺であったが、C.R.42bisでは12.7mm機関銃2挺、C.R.42terではさらに12.7mm機関銃が2挺追加されている。 C.R.42は1939年から1943年の間に合計1768機が作られた。  C.R.42は時代遅れの感があったが設計者のロサテリは戦闘機市場の好みをよく知っていたのかもしれない。 外国の関心をひき1939年終わりにハンガリー空軍がC.R.42を多数購入し、本土防衛用として使っているし、同じ年にはベルギー政府が34機を発注、1940年3月に引き渡された。 これらの機はドイツによる攻撃の最初の日に多くは地上で破壊され、残存機も記録に残るような働きはなかった。  またスウェーデン政府も72機を購入している。   イタリアが参戦した1940年6月の時点では300機以上のC.R.42が配備されており、13日の南フランス攻撃にBR20爆撃機の援護で出動、20機のフランス機を地上で破壊、1機を撃墜しイタリアの損害はなかった。 2日後、ブロッシュ152戦闘機を3機、ドヴァチンD520戦闘機を5機撃墜し、C.R.42を5機と爆撃機1機を失っている。 1940年11月11日にはドイツ空軍に協力してイギリス攻撃に参加、10機の爆撃機を援護してハーウィック攻撃に向かった40機のC.R.42は30機のイギリスのハリケーン戦闘機に迎撃され、5機の爆撃機と3機の戦闘機を失った。 イギリス側の損害はなかったとされている。 燃料切れと悪天候のため18機しか基地に戻らなかった。 1機はイギリスに不時着した。 この機体は現在ロンドンの空軍博物館に保存されている。 この作戦でC.R.42は連合軍の近代的戦闘機には抗し得ないことがあきらかになり以後地中海、北アフリカ方面で主に戦闘爆撃機として地上軍協力に使われた。

 
性能諸元(CR-42AS)

形式: 戦闘機   エンジン:フィアット A.74 RC38空冷840馬力   最大速度:343km/時(海面), 450km/時(高度 m) 航続距離:775km   上昇時間:7分0秒(6,000mまで)   上昇限度:10,500m   自重:1,720kg   全備重量:2,295kg   全幅:9.7m   全長:8.26m    武装:12.7mm ブレダSAFAT機関銃2挺、爆弾200kg   生産台数:1,780以上

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 William Green “War Plane of The Second World War Vol.2” Doubleday & Company, 1960 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978 Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.9” Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 Jonathan Thompson “Italian Civil and Military Aircraft 1930-1945” Chris Dunning “Courage Alone- The Italian Air Force 1940-1943” Hikoki Publication “ Fiat CR 32/ CR 42 in action “ Aircraft Number 172, Squadron/ signal publications