サヴォイア.マルケッテイ  SM.79 

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モデルは AIRFIX製 1/72

イギリスのスピットファイア、アメリカのP-51ムスタングがそれぞれの国の軍用機の代表であるようにサヴォイア.マルケッテイS.M.79はイタリアを代表する航空機であり第二次大戦ではすべての前線で活躍した。 もとは爆撃機として設計されたが、雷撃機としてもその優秀性を認められた。  1936年6月から1943年にかけて1217機が作られた。 これは当時のイタリア機の中では際立って多い生産台数であった。 S.M.79は設計技術者アレサンドロ.マルケッテイによって設計された。 前身のS.M.81と同じく3発で構造は木金混合であったが、より強力なエンジンを搭載し主脚が引き込み式になったほか空力的に洗練されたスタイルになった。 試作機は8人乗りの旅客機として設計され、1934年10月に初飛行し、海面での最高時速が352kmを記録するなどただちにその高性能ぶりを発揮した。 翌年にはエンジンを650馬力のピアッジョP.IXから750馬力のアルファ.ロメオエンジンに換装されてさらに性能が向上した。 その年の9月には500kgから2トンの貨物を積んで2,000kmを飛行するコンテストで6つの世界記録を樹立したのである。 空軍関係者はその高性能に魅せられ、爆撃機型として2台目の試作機を発注した。 爆撃機型は構造的には旅客機型と同じで爆弾搭載装置と防御火器が取り付けられた点だけが相違していた。 1937年2月からスペイン市民戦争で実戦にデビューしたが、同時に民間輸送機あるいはレース用としても用いられた。 イタリアが第二次大戦に参戦したとき592機が配備されていた。 当初は爆撃機として使われたがまもなく雷撃機として使われ、この用途で卓越した性能が認められた。 シシリー島を基地としてマルタ島攻撃の中心となったし、連合軍の輸送船団雷撃に威力を発揮した。 その頂点は1942年8月、マルタ島に向かう2隻の航空母艦を始めとする護衛艦隊に守られた14隻のイギリス輸送船団を74機のS.M.79が攻撃したときである。 この攻撃でイギリス戦艦、巡洋艦に直撃弾を与え、他の多くの艦船に損傷を与えたのである。 イタリア降伏後も連合軍側で使われ、戦後も標的牽引などの用途に使われ、1952年にいたって最後の機体がスクラップにされたのである。 

 
性能諸元(SM-79-1)

形式: 爆撃機   エンジン:アルファ.ロメオ 126RC34 空冷780馬力3基   最大速度:430km/時(高度 4,000m)   巡航速度 375km/時  航続距離:1,900km 上昇時間:3分28秒(1,000mまで)  上昇限度:6,500m 全備重量:10,480kg   全幅:21.2m  全長:15.8m   武装:12.7mm固定式機関銃1挺、12.7mm旋回式機関銃2挺、7.7mm 旋回式機関銃1挺、爆弾1,250kg   生産台数:1,370

参考文献

「参考文献」 Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978 Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.22” Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 Military Aviation Library,“World War 2 Japanese and Italian Aircraft”, Salamander Books Ltd., 1985 Jonathan Thompson “Italian Civil and Military Aircraft 1930-1945” Chris Dunning “Courage Alone- The Italian Air Force 1940-1943” Hikoki Publication