九九式軽爆撃機 (キー48) 

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モデルは ハセガワ製 1/72

1937年日中戦争のころ日本陸軍は中国軍が使用し始めたソ連製のツポレフSB-2双発爆撃機に驚愕した。 SB-2の速度は当時の日本陸軍の最新鋭機キー27戦闘機の速度とほとんど同じであり迎撃は非常に困難であったのである。 1937年12月日本陸軍は川崎飛行機に対してSU-2を上回る性能の双発爆撃機の開発を命じた。 エンジンは中島ハ-25(950馬力)を搭載し、時速は480km(高度3,000m)、巡航速度350km、上昇力は高度3,000mまで10分、爆弾搭載量は400kgという仕様であった。 当時の日本陸軍の仮想敵国はソ連であったので酷寒のシベリアでも作戦可能ということも含まれていた。  設計に当たったのは土井武夫である。 Ki-48の型式名を与えられ設計作業は1938年1月に始められたが、同じ設計チームでKi-45改も担当しなくてはならなかったので、Ki-48試作機が初飛行したのは1939年の7月であった。 テスト結果はおおむね良好であったので99式爆撃機として大量生産に入ることになったが爆弾搭載量だけは陸軍の要求を満たさずわずか300kgであった。  Ki-48の初陣は1940年秋中国北部での作戦である。 その高速のためほとんど敵戦闘機の妨害を受けず搭乗員から絶賛された。 太平洋戦争勃発に伴いKi-48はビルマ、マレーシア、フィリピン方面に配備されたがすぐにその重大な欠陥が露呈された。 速度は従来より速いといっても連合軍戦闘機にはとうてい敵わずしかも搭乗員と燃料タンクに対する防御が皆無であったのである。 さらに防御火器がわずか1挺の7.7mm機関銃では連合軍戦闘機には思うままに攻撃されて甚大な被害を被り、行動できるのは夜間のみに限られてしまった。  改良型のKi-48IIは1942年2月に初飛行した。 エンジンは中島ハ-115(1,150馬力)に替えられ乗員のための防弾板も備えられた。 爆弾搭載量は800kgになり最大速度も時速にして24km向上した。 しかしこの改良にしても高速度と重武装を持つ連合軍戦闘機にとってはたやすい獲物であった。 しかもニューギニア方面での戦闘でKi-48の多くは地上で破壊されてしまったのである。  

 
性能諸元(キ-48-II)

形式: 双発軽爆撃機   エンジン:中島ハ-115 空冷1,150馬力2基   最大速度:505km/時(高度 5,600m)  航続距離:2,400km   上昇時間:8分30秒(5,000mまで)  上昇限度:10,100m   自重:4,550kg   全備重量:6,750kg   全幅:17.45m   全長:12.75m   武装:7.7mm 旋回式機関銃3挺、爆弾 800kg   生産台数:1,977

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.15”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
安藤成雄 “日本陸軍機の計画物語” 航空ジャーナル 1980別冊
佐貫亦男監修“第二次大戦機”徳間書店、1988
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
Robert C. Mikesh “Japanese Aircraft 1910-1941” Putnam Aeronautical Books 1990
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房