三菱 四式重爆撃機(キー67) 飛龍 

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モデルは アリイ製 1/72

日本の爆撃機は、戦闘機にくらべ英米からの評価は著しく低い。 攻撃一点張りの発想で防御に対する配慮が皆無に等しいからである。 海軍の主力爆撃機の一式陸上攻撃機は、ある本では世界の最悪の飛行機のひとつに選ばれている。  パイロットの腕がよければ体をかわすことができる戦闘機と違って、重い爆弾をかかえる爆撃機は敵戦闘機から受ける打撃を耐えながら直進するほかはない。 防御火器と防弾をなにより重視する英米の爆撃機の設計思想からすると日本機の評価が低くなるのは当然といえる。   その中にあって三菱四式重爆撃機「飛龍」は例外的に高い評価を受けている。 著名な航空史評論家の著書には「このクラスの大型機としては異例なほど運動性がよいうえ、十分な防御火器を備え、防弾も十分に施されている。 しかも作り易く整備も容易であり、欧米のこのクラスの飛行機よりいろいろな面で優れている。 日本の航空産業のレベルの高さを示すいい例である。」ときわめて高い評価が与えられてる。  1940年後半、中島キー49爆撃機のテスト飛行が行われているとき、陸軍航空本部は早くもこの後継機の計画を立てていた。 この時点ではまだ対ソ戦を想定していた陸軍は高性能の戦術爆撃機を必要としていたのである。 1941年2月航空本部は三菱に新仕様に基づいて設計し、3機を試作するよう命じた。 三菱の小沢主任技師以下の設計チームは三菱ハー104エンジンを2基搭載、強力な4枚プロペラを備えたすっきりした機体を作り上げた。 従来の日本機の常識を破り、小沢は工作の簡易化と防弾を完備させることに最大の留意をはらった。 試作機の初飛行は1942年12月、結果は期待を大幅に上回るもので関係者を狂喜させた。 とくに運動性のよさは特筆すべきものであった。 そのために雷撃機型をはじめいろいろな任務を兼用させようというアイデアがつぎつぎと飛び出して三菱に要求を付きつけたので生産に支障をきたすほどになった。 1943年12月になって切迫する戦局の前にさすがに陸軍航空本部も三菱に対して標準型のみを生産するよう命令せざるをえなかった。 実戦への初参加は1944年10月の台湾沖海戦で米艦隊に対する雷撃である。  「飛龍」の生産は最優先権を与えられ、川崎航空機、立川第一陸軍工廠、日本国際航空などにも生産が委託されたが、激化する爆撃などの影響で生産総数は698機にとどまった。

 
性能諸元(キ-67)

形式: 重爆撃機   エンジン:三菱ハ104 空冷1,900馬力2基   最大速度:537km/時(高度 6,000m)   巡航速度 400km/時   航続距離:3,800km   上昇時間:14分30秒(6,000mまで)    上昇限度:9,470m   自重:8,649kg   全備重量:13,765kg   全幅:22.5m   全長:18.7m   武装:20mm旋回式機関砲1門、12.7mm 旋回式機関銃4挺   生産台数: 698

参考文献

辻 俊彦「零戦ーアメリカ人はどう見たか」芸立出版
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.15”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
Yenne, Bill “The World’s Worst Aircraft” World Publications Group, Inc.
Gunston,Bill "Famous Bombers of the Second World War" Doubleday