中島 一式戦闘機I (キー43I) 

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モデルは ハセガワ製 1/72

一式戦闘機「隼」は日本陸軍でもっとも多く生産された戦闘機であり日米開戦時にはわずか40機しかなかったのにもかかわらず、その後マレーシア、スマトラ、ビルマと急速に展開し日本陸軍の主力となって活躍した。 しかしその誕生は難産をきわめた。 中島飛行機は1937年末、陸軍と新しい戦闘機の開発契約を結んだ。 キ―43の型式名を与えられ、糸川秀夫によって設計された。 当時世界の趨勢は高速と重武装を利した一撃離脱戦法に移行しつつあったが、日本陸軍は従来のドッグファイトの思想を捨てきれず、新型戦闘機に対して高速と長大な航続距離と現行機種の97式戦闘機(キー27)に劣らない運動性を要求したのである。 新型戦闘機は中島の空冷ハ25栄エンジンを搭載し1939年1月初飛行し、時速517kmを出した。 しかし軽快なキ―27戦闘機に慣れたパイロットからはキ―43は運動性が悪いと評価され再検討することになった。 以後この相反する要求を満たすために技術陣は血のにじむような軽量化努力を続けたが、おりしも1939年夏勃発したノモンハン事変で97式戦闘機が一撃離脱戦法を得意とするI-16戦闘機に対して圧勝したという報告があり、ますます運動性重視の思想が高まり設計技術陣をさらに困惑させたのである。 結局初飛行から1年半も経った1940年秋になって、空戦フラップを採用したことで妥協点が見いだされ正式採用となった。 これによりキ―43はもっとも運動性に優れた戦闘機のひとつになったのである。 最初の量産型キ―43Iaは975馬力の中島 Ha.25エンジンを搭載、7.7mm機関銃2挺を備え、最高速度は高度4,000mで486km/時であった。 生産は1941年3月に始まったが、すぐに武装を7.7mm機関銃1挺に12.7mm機関銃1挺としたIa型に変わり、さらに12.7mm機関銃2挺を備えたIc型に変わった。 このIc型が標準となり、隼の名称が与えられた。    

 
性能諸元(キ-43)

形式: 迎撃戦闘機   エンジン:中島 Ha-115 空冷1,150馬力   最大速度:465km/時(海面)   巡航速度 440km/時   航続距離:3,200km   上昇時間:5分49秒(5,000mまで)   上昇限度:11,200m   自重:1,910kg   全備重量:2,925kg   全幅:10.84m   全長:8.92m   武装:12.7mm 機関銃2挺、爆弾 500kg   生産台数:5,919

参考文献

辻 俊彦「零戦ーアメリカ人はどう見たか」芸立出版
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
William Green “War Plane of The Second World War Vol.3” Doubleday & Company, 1960
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.3”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
安藤成雄 “日本陸軍機の計画物語” 航空ジャーナル 1980別冊
佐貫亦男監修“第二次大戦機”徳間書店、1988
碇 義朗 “陸軍「隼」戦闘機” サンケイ出版 第二次大戦ブックス
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
W. Green & G. Swanborough “Japanese Army Fighters World War 2 Fact Files”
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房
Hans Redemann “Inovations in Aircraft Construction” Schiffer Publishing Ltd., 1991