太平洋戦争初期は隼はその高性能ぶりをいかんなく発揮していたが、まもなく連合軍の戦闘機と本格的に相対するようになり防弾の必要性が感じられるようになってきた。 操縦席の後方に13mmの防弾板をつけ、エンジンを1,105馬力のHa-115を搭載した型が登場した。 これはキ―43IIaとして1943年2月から前線に配備され始めた。 II型は陸軍第一工廠と立川飛行機でも生産されるようになった。 前線での戦訓を取り入れ、主翼の先端を切り落とした型がキ―43II改として1942年8月に作られ、1943年から配備された。 キ―43II改は小回りがきき、ドッグファイトに持ちこむと優位を占めることができたが、速度、上昇力、急降下速度にはるかに勝る連合軍のP-38,P-47,P-51が一撃離脱戦法に徹し始めると手も足もでなくなってしまった。 とくに軽量で構造の脆弱な機体は多重装備の連合軍戦闘機の斉射を浴びると空中分解することもしばしばであった。
基本的に時代遅れになっていたにもかかわらずキー43の改良努力は続けられ、1944年12月には1,250馬力の中島 ハ115-IIエンジンを搭載し、最高速度547km/時を出すキ―43IIIaが作られ、首都防衛任務にあてられた。 最後の型は立川飛行機で試作されたIIIb型で武装は従来の12.7mm機関銃に代えて20mm機関砲を備えていたが2機が試作されただけで終戦となった。
ニューギニア方面で捕獲されたキー43をオーストラリア軍が調査した報告があるが、それによると「キー43は第一次大戦の発想の戦闘機であり、ドッグファイトさえ避ければまったく恐れることはない」と酷評されている。
事実、運動性重視の根拠となったノモンハン事変での大勝という報告も、アメリカの歴史学者の綿密な調査では、空中戦は日本側がわずかに有利であったがあのまま戦争が続けばおそらく形勢逆転、ソ連のI-16戦闘機の一撃離脱戦法に押しまくられたであろうとされている。
形式: 迎撃戦闘機 エンジン:中島 Ha-115 空冷1,150馬力 最大速度:465km/時(海面) 巡航速度 440km/時 航続距離:3,200km 上昇時間:5分49秒(5,000mまで) 上昇限度:11,200m 自重:1,910kg 全備重量:2,925kg 全幅:10.84m 全長:8.92m 武装:12.7mm 機関銃2挺、爆弾 500kg 生産台数:5,919
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
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安藤成雄 “日本陸軍機の計画物語” 航空ジャーナル 1980別冊
佐貫亦男監修“第二次大戦機”徳間書店、1988
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航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房
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