川崎キー45屠龍は実戦に参加した日本の戦闘機の中で開発途上でもっとも問題解決に苦労した機体のひとつであったが、戦争末期圧倒的なB-29による夜間爆撃攻勢に対抗する唯一の戦闘機であった。 ヨーロッパにおける長距離作戦に使用できる双発戦闘機の出現は日本陸軍の関心を集めた。 しかし1937年、双発重戦闘機の仕様が発布されたときには速度、航続距離、武装などの重要仕様をどのようにするか陸軍首脳部にも定見がなかった。 この仕様に対して中島、川崎、三菱各社から開発案が提示されたが、他に急を要する開発案件をかかえていた中島と三菱ははやばやと辞退し川崎1社が開発を続行するよう命じられ、1937年12月型式名キー45が与えられた。 要求仕様は最高速度540km/時(高度3,500m)、武装は機首に2挺、後部座席に1挺の旋回式機関銃を持ち、エンジンは中島ハ-20b9気筒空冷(820馬力)が指定されていた。 設計主務者は土井武夫で初飛行は1939年1月である。 武装は当初より強化され機首には1門の20mm機関砲と2挺の7.7mm機関銃が備えられた。 テスト飛行の結果は最高速度が480km/時と期待外れであったが、スマートな外見は魅力的であった。 降着主脚はエンジンナセルの後方に引き込まれるようになっていた。 これは当初手動であったが試作3号機からは電動式に改善された。 エンジンをはじめ多くのトラブルをかかえていたうえ陸軍当局にこの戦闘機をどういう任務に使うかはっきりした考えがなかったので開発は一時保留となっていたが、6ケ月後の1940年4月に再開された。 エンジンは中島ハー25(14気筒1,000馬力)に替えられ最高速度は520km/時が得られた。 土井技師率いる設計チームは本機の設計を全面的に見直したものを提案し、陸軍はこれを認めキー45改として2式戦闘機(愛称は屠龍)として1942年初めから大量生産が始められた。 第一線への配備は1942年8月から始まり、中国、ビルマ戦線に送られ、特に対地、対艦船攻撃に威力を発揮している。 1944年4月、夜間戦闘機型が作られた。 これは胴体下部に37mm機関砲(ホ203)を備え、胴体後方の上部に斜め上に打ち上げる2連装の20mm機関砲を持っていて東南アジア方面で夜間に来襲するアメリカのB-24などに対抗した。 戦争末期の本土防衛戦ではかなりの数のB-29を撃墜している。
形式: 双発複座戦闘機 エンジン:中島ハ25空冷1,050馬力2基 最大速度:547km/時(高度 7,000m) 巡航速度 3731,100km 航続距離: 2,260km 上昇時間:6分(5,000mまで) 上昇限度:10,730m 自重:3,982kg 全備重量:5,480kg 全幅:15.02m 全長:10.6m 武装:20mm機関砲2門、12.7mm 機関銃2挺、12.7mm旋回式機関銃1挺 生産台数:1,701
辻 俊彦「零戦ーアメリカ人はどう見たか」芸立出版
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
William Green “War Plane of The Second World War Vol.3” Doubleday & Company, 1960
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.15”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
Rene J. Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Naval Institute Press