1938年東大航空研究所で始まった本機の開発は高速飛行の研究と世界記録を破るという目的を持って行われたものである。 研究機は研三と呼ばれ従来の日本機にはない特長を持っていた。 空気抵抗の減少を狙って胴体断面は極力小さくし、主翼はきわだって小さく層流翼が採用されていた。 エンジンはドイツから輸入されたダイムラーベンツDB601A12液冷12気筒で、これに短時間のエンジン出力増加のため日本では初めての水アルコール噴射システムが採用された。 2基の冷却器は胴体後方の両側面に配置された。 木製の模型が1941年5月に完成、2機の試作機の製造は川崎航空機に任されることになったが、1941年12月戦争勃発にともない本研究の管轄は陸軍に移管されKi-78の型式名を与えられた。 試作第一号機は1942年12月に初飛行したが、低速時の飛行が著しく不安定であったため、離陸速度は205km/時以上、着陸速度は170km/時以上に制限することが決められた。 しかも全備重量ならびに翼面荷重は設計値よりはるかに重く、時速635kmに達すると水平尾翼の振動が認められた。 1943年12月、その31回目の飛行で時速700kmを記録したが、当初予定していた850km/時にくらべるとはるかに低かった。 当初の目標に達するには機体設計やエンジン選定にあまりにも多くの機材とマンパワーを必要とすることが明らかであり1944年1月にはすべてキャンセルされてしまった。
形式: 高速飛行研究機 エンジン:ダイムラーベンツDB601A液冷12気筒1,175馬力 最大速度:700km/時(高度 3,500m) 航続距離:600km 上昇限度:8,000m 自重:1,930kg 全備重量:2,300kg 全幅:8.0m 全長:8.1m 生産台数:1
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
RAF Flying Review
Rene J. Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Naval Institute Press