第二次大戦で使用された飛行機のなかでももっとも洗練された優雅な機体で、敵地の奥深く侵入して戦略偵察を行うということを目的として開発された世界でも特異な存在であった。 太平洋戦争が始まる前からマレー上空に侵入し、終戦直前までマリアナ諸島の米軍基地の偵察を行った。 その優雅な姿態と高速ぶりは連合軍からは敬意を払われ、搭乗員の絶大な信頼を得る存在であった。 ドイツからも本機のライセンス生産をする要求がきていたくらいである。
1937年末、陸軍航空本部は三菱にたいして敵戦闘機を上回る高速と長大な航続距離とを持つ偵察機の開発を指示した。キー46の型式を与えられた機体は三菱の久保技師の下に設計され、1939年11月に初飛行した。 飛行性はおおむね良好であったが、最高速度は540km/時しかでなかった。 陸軍の目標とする数値にははるかにおよばなかったが、隼戦闘機より速く、飛行特性もよいということで百式司令部偵察機として正式採用となった。 しかしこのままでは海軍の零戦より遅いということもあって、装備していた2基の三菱ハ-26エンジン(700馬力)に替え新開発の三菱ハ-102エンジン(1,055馬力)が装備されキ-46IIとして1941年3月に完成、最高時速は604kmに達した。 第一線への配備はその7月から始まり、中国方面では無敵の快速ぶりを示した。 英米との戦争が始まると南支方面にも配備されたがここでもカーチスP-40やイギリスのハリケーン戦闘機を寄せ付けなかった。 日本海軍も本機に目をつけ数機を獲得、オーストラリア方面の偵察に使用した。
オーストラリアのダーウィン方面の防衛のために米空軍がロッキードP-38、英空軍がスピットファイア5型を配備するようになってキー46IIが捕捉、撃墜されることが多くなってきたので日本陸軍はより強力な三菱ハ-112エンジン(1,500馬力)に換装するよう命じた。 さらに航続距離の増加を要求されたため、三菱は燃料タンク容量を図るため胴体の設計を根本的にやり直した。 同時に重量増加に対して降着機構の強度向上をはかった。 外見的にはもっとも大きな違いは風防の前面の段差をなくして機首部分が滑らかな構造となったことである。 2機の試作機がキ-46IIIとして1942年12月に完成した。 百式司令部偵察機3型として生産され、主に連合軍が制空権を持っている地域の偵察に使われた。2型にくらべ高度8,000m以上では顕著な改善が見られ、連合軍戦闘機はレーダーに誘導されないかぎりこれを捕捉するのは困難であったとされている。
形式: 長距離偵察機 エンジン:三菱ハ-102 空冷1,055馬力2基 最大速度:604km/時(5,800m) 巡航速度 400km/時 航続距離:2,474km 上昇時間:17分58秒(8,000mまで) 上昇限度:10,720m 自重:3,263kg 全備重量:5,050kg 全幅:14.7m 全長:11.0m 武装:7.7mm 機関銃1挺、 生産台数:1,742(各型合計)
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.15”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
安藤成雄 “日本陸軍機の計画物語” 航空ジャーナル 1980別冊
佐貫亦男監修“第二次大戦機”徳間書店、1988
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房