1939年、航空本部の要求に応じて立川飛行機は双発の多用途練習機の設計に乗り出した。 要求された仕様は陸軍が1937年から使用している近代的な爆撃機とよく似た操縦特性を持っていることで、操縦員だけでなく爆撃手、航法士、無線士など爆撃機搭乗員のすべてを同時に訓練することが目的であった。 これを満足するため510馬力の日立 Ha-13aエンジン2基とハミルトン可変ピッチプロペラを採用した。 Ki-54の型名を与えられた試作第一号機は1940年夏に初飛行し、若干の変更があった後1941年から陸軍1式高等練習機(キ―54A)として生産が開始された。 キ―54Aは主にパイロット養成のために使われたが、他の搭乗員訓練の設備を備えたB型が登場し陸軍が主管するほとんどの飛行訓練学校に配備されもっとも成功した多目的訓練機となった。 C型は8座席を備えた輸送機型である。 戦争後半に全木製型がキ―111として試作機が作られたが、アメリカ軍による空襲で破壊されてしまった。 その他にも8個の60kg爆弾を搭載する対潜哨戒機としてD型が作られたがほとんど実戦に参加することなく終わった。 連合軍によるコードネームはヒッコリーである。
形式: 対潜警戒兼軽輸送機 エンジン:日立 Ha-13空冷510馬力2基 最大速度:376km/時(高度 2,000m) 巡航速度 240km/時 航続距離:960km 上昇時間:20分18秒(5,000mまで) 上昇限度:7,180m 自重:2,954kg 全備重量:3,897kg 全幅:17.9m 全長:11.94m 武装:爆雷480kg 生産台数:1,368
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.15”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988