満州飛行機製造KKは中島飛行機の97式戦闘機(キ―27)のライセンス生産をする一方で、1942年、これをもとに高等練習機の設計を始めた。 陸軍2式高等練習機の型式名を与えられ、4つの型が作られた。 510馬力の日立 Ha-13aエンジン装備で単座練習機のキ―79A、同じエンジンで複座型のキ―79B、単座で日立Ha-23/22エンジン搭載のキ―79C、日立 Ha-23/24エンジン装備で複座のキ―79Dである。 どの型も開放型コクピットを持っている点では共通であったが、キ―79Aとキ―79Bは金属製であったのに対し、キ―79CとDは木金混合の構造であった。 1943年までには仙台や所沢の陸軍飛行機学校に配備された。 またシンガポール、ジャワ、フィリピンなど日本の占領地区にも送られ飛行訓練学校で使われた。 ジャワとスマトラではインドネシア空軍が日本陸軍に代わって訓練生養成の任にあたっている。 戦後満州地区に置き去りにされたキ―79を中国赤軍が接収し、人民解放軍最初の練習機となった。 これらは朝鮮戦争当時まで使われている。
形式: 高等練習機兼連絡機 エンジン:日立 Ha-13a空冷510馬力 最大速度:340km/時 航続距離:920km 自重:1,300kg 全幅:11.5m 全長:7.85m
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.15”
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988