97式艦上攻撃機の後継機種として1939年に日本海軍から発布された仕様に基づき、中島飛行機で設計された3座艦上攻撃機(B6N)である。 海軍の要求は最大速度460km/時、巡航速度368km/時、航続距離1,842km(魚雷800kg搭載時)であった。 97式艦攻にくらべて技術的にはとくに新しいものはなかったが、設計者松山技師の苦心は従来よりも2倍近く馬力の大きいエンジンを搭載するので、機体の大型化は避けられないいっぽう空母搭載機の宿命として外形寸法に制限があることであった。 海軍は三菱の火星エンジン搭載を指示したが中島の要求を入れ、中島護エンジン11(14気筒1,870馬力)の搭載を認めた。
2機の試作機が1941年春には完成、初飛行を待つばかりになっていた。 戦争はまだ始まっていなかったし海軍当局はすぐにでも新鋭機に入れ替えられると楽観していた。 しかし飛行テストが始まるとさまざまな問題が続出したのである。 まず2000馬力近い強力エンジンと4翔プロペラの回転トルクを打ち消すため垂直尾翼を左に2度ほど傾けなければならないことが分かったのである。 さらに新型エンジンにもトラブルが続いた。 1942年末にようやく空母搭載テストが始まると着艦フックの強度が不足で着艦事故が続いてしまった。
2年以上にわたるテストのあとB6Nは天山艦上攻撃機としてようやく大量生産にこぎつけた。 実戦では天山はおおむね好評であったが、着陸速度が高く大型空母でないと無理であった。
本格的実戦参加はマリアナ海戦のときからであったがこのときはほとんど戦果をあげることができなかった。 レーダーに誘導された強力なアメリカのグラマン戦闘機隊により敵艦に到達するまえにほとんどが撃墜されてしまったのである。
天山の生産は搭載している護エンジンが海軍から生産停止を命じられたことで一大とん挫をきたした。 海軍は栄エンジンと誉エンジンに生産を集中し効率を上げようとしたのである。 中島は三菱の金星エンジンに乗せ換えその他の改造を施し生産を再スタートさせたがその用途は沖縄方面での神風攻撃だけであった。
形式: 3座艦上攻撃機 エンジン:三菱MK4T火星25 14気筒空冷1,850馬力 最大速度:478km/時(高度 4,900m) 巡航速度 331km/時 航続距離:1,736km 上昇時間:10分24秒(3,000mまで) 上昇限度:9,040m 自重:3,016kg 全備重量:5,200kg 全幅:14.894m 全長:10.865m 武装:7.7mm 機関銃1挺、7.7mm 旋回式機関銃1挺、爆弾800kg 生産台数:1,268
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.3”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
“日本海軍機の塗装とマーキングー爆撃機編” モデルアート4月号臨時増刊、1993
佐貫亦男監修“第二次大戦機”徳間書店、1988
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
W. Green & G. Swanborough “Japanese Army Fighters World War 2 Fact Files”
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房