愛知 九九式艦上爆撃機(D3A1) 

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モデルは フジミ製 1/72

1941年12月7日、日本海軍が真珠湾奇襲に成功したときアメリカの目標に対して初めて爆弾を投下したのがこの九九式艦上爆撃機である。 固定脚を持ち、見かけは旧式ながら運動性がよく、熟練した搭乗員にも恵まれて戦争初期にインド洋でイギリス空母ヘルメスと巡洋艦コンウオールを撃沈したときには急降下爆撃の命中率80%以上という驚異的な数字をあげた。 しかし珊瑚海海戦からミッドウェー、ガダルカナル戦を通じて熟練した搭乗員の消耗が激しく、しかもアメリカ海軍戦闘機隊の増大によって急速にその威力を減じ、より高速の彗星急降下爆撃機が登場してからは後方任務に後退していった。  1936年夏、日本海軍は旧式化していた九六式爆撃機にとってかわる新型機の試作計画を発表した。 これに対し愛知時計電機、中島飛行機、三菱重工の三社が応募し、最初の2社が試作機の受注をした。  愛知はかねてからドイツのハインケル社から技術導入を受けていたこともあって、試作機の主翼はハインケルHe70の流れをくむ楕円形とし、重量軽減とメンテナンスの容易さをねらってあえて固定脚を採用した。 初飛行は1938年一月、エンジンは空冷9気筒の中島光1型で710馬力であった。 試作機は明らかに馬力不足であり、ダイブブレーキなど多くの問題が指摘されたが、これらを改善した結果、1939年12月、中島機との性能コンテストに勝利を収め、九九式艦上爆撃機として正式採用となったのである。  本機は武装が7.7mm固定式機関銃2挺と旋回式機関銃1挺と貧弱であったが、運動性がきわめてよく戦闘機のかわりに使われることもあったくらいである。 爆弾は250kg1発と60kg2発を搭載できたが、これはアメリカの同等機であるダグラスSBD急降下爆撃機の450kg爆弾搭載に比べると敵艦に対する破壊力ではかなり見劣りした。

 
性能諸元(D3A2)

形式: 艦上爆撃機   エンジン:三菱金星43 空冷 1,000馬力   最大速度:386km/時(高度 3,000m)  巡航速度 296km/時   航続距離:1,472km   上昇時間:6分27秒(3,000mまで)   上昇限度:9,300m   自重:2,408kg   全備重量:3,650kg   全幅:14.30m   全長:10.20m   武装:7.7mm固定式機関銃2挺、7.7mm 旋回式機関銃1挺、爆弾370kg   生産台数:1,495

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
Robert C. Mikesh “Japanese Aircraft 1910-1941” Putnam Aeronautical Books 1990
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房