海軍工廠 彗星艦上爆撃機(D4Y2) 

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モデルは ハセガワ製 1/72

 1938年春、日本海軍はドイツから購入したハインケル He 118の性能に強く印象づけられ、これを改良して艦上爆撃機を開発することを海軍第一工廠に命じた。 このとき発せられた13試艦上爆撃機の要求仕様は最高速度515km/時、巡航速度424km/時、航続距離1,475km(250kg爆弾搭載時)で小型空母からの発着ができることというものであった。 その結果が全金属製で引っ込み脚採用、2人乗りのD4Y1でイギリスのモスキートにも比較されるもっとも流麗な形状を持つ航空機のひとつであった。 全体として爆撃機としては小型化をはかり主翼面積は零戦とほぼ同等であった。 爆弾倉は胴体内に設けられ500kg爆弾を収容できた。 エンジンはドイツのダイムラーベンツDB601Aの国産版アツタエンジンの予定であったが、製造が間に合わなかったため最初の試作機には輸入のDB600G(960馬力)が搭載された。 このエンジンは予定のアツタエンジンより出力が20%低かったが飛行性能はあらゆる面で満足すべきものであった。 しかし急降下テストが始まると主翼の強度不足が判明したので、彗星11型という名称を与えられ、とりあえず偵察型として1942年夏から生産が開始された。 2機の試作機が空母蒼龍に搭載されミッドウェー作戦に参加したが、蒼龍が早い段階で撃沈されてしまったので活躍の機会はなかった。  11型の生産は始まったものの偵察型の需要が少なく、1943年末までに24機が作られたに過ぎなかったが終戦まで使われ搭乗員からは好評であった。。  主翼の強度を増し急降下ブレーキを備えた本来の急降下爆撃機として彗星11型の生産が1943年春から始まり、その年の終わりまでに約500機が前線に配備された。 1944年のアメリカ軍によるマリアナ諸島に対する攻撃に投入されたが、防弾板とセルフシーリングタンクがないことから戦闘機の攻撃に対して脆弱性をさらけだし多大の損害を被ることになった。  防弾の欠如という重大な欠陥とともに、慣れない液冷のアツタエンジンの故障の多さと整備のむずかしさが彗星の全期にわたる障害であった。

 
性能諸元(D4Y1)

形式: 艦上爆撃機   エンジン:愛知AE1Aアツタ 液冷 1,200馬力   最大速度:552km/時(高度 4,750m)   巡航速度 426km/時   航続距離:1,527km   上昇時間:5分12秒(3,000mまで)   上昇限度:9,900m   自重:2,440kg   全備重量:4,250kg   全幅:11.50m   全長:10.22m   武装:7.7mm固定式機関銃2挺、7.7mm 旋回式機関銃1挺、爆弾310kg   生産台数:2,038(各型合計)

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
Robert C. Mikesh “Japanese Aircraft 1910-1941” Putnam Aeronautical Books 1990
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房