1944年夏、日本海軍は圧倒的な力で太平洋を攻めあがってくるアメリカ軍の前に尋常な手段では敗北を免れないという自覚を持つに至った。 この考えを持つ海軍軍人のひとりが太田正一特務少尉である。 彼は405航空隊に所属し輸送機のパイロットをしていたがロケット推進の特攻機を思いついたのである。 彼は東京大学の航空研究所の協力を得て素案を作り上げ、これを横須賀の第一海軍航空技術廠に提出した。 この提案に乗り気になった海軍は三木技術少佐、山名技術少佐などに研究を進めるよう指示した。
MXY7の型式名を与えられた機体は他の飛行機に載せられて運ばれ敵の近くで切り離され、そのあとMX7Yは尾部に設けられた3基のロケットエンジンで推進し目標に突入する計画であった。 機体は主に木製構造で熟練労働者に頼らなくても簡単で作れることを主眼に設計された。
エンジンなしの滑空モデルは1944年9月に完成し桜花11と名づけられた。 最初のロケットエンジンによる飛行テストは翌10月のことであった。 テスト結果は上々で時速650kmを出すことができた。 海軍はテスト飛行が終わる前に大量生産の命令を下し、1945年5月までに755機の桜花11が生産された。 1945年3月、16機の1式陸攻に吊り下げられて敵艦隊に向かったが目標に達する前にアメリカの戦闘機部隊に攻撃され全機が撃墜されてしまった。 桜花11の搭載爆弾は1,200kgであったがこれを吊り下げる1式陸攻の速度があまりにも遅く、桜花を切り離す前にすべてが撃墜されてしまうので3月中に生産が止められていた。
もっとスピードの速い爆撃機銀河(P1Y1)に吊り下げることができるように小型化され、爆弾も600kgに減らし、しかもカンピーニ型ジェットエンジンを搭載した桜花22型は大量生産が計画されたが、1945年7月に行われた試験飛行で事故を起こしパイロットの命が失われてしまった。 桜花は本土決戦に備えて大型化されたものも検討されたが実現することがなかった。
桜花の当初の目標は敵の航空母艦であったがアメリカのレーダーにコントロールされる防空戦闘機隊が強力で目標に到達する前に吊り下げている母機がすべて撃墜されてしまうために周囲の駆逐艦などの小型艦艇に目標を変更せざるを得なかった。 最初の戦果は4月12日駆逐艦マネート撃沈で、この後は駆逐艦などの小型艦艇6隻に損傷を与えるにとどまった。
なお桜花の連合軍のコードネームはBAKA(バカ)である。 合理性を重んずるアメリカ人から見ると自殺を目的とした兵器など信じられないものであったのだろう。
形式: ロケット推進特攻機 エンジン:4号1式推進機 推力 800kg 最大速度:605km/時 航続距離:36km 自重:440kg 全備重量:2,140kg 全幅:5.20m 全長:6.06m 爆弾1,200kg 生産台数:755(各型合計)
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
岡村純他「航空技術の全貌」原書房