「零戦」 この名には日本人にとっては永久に忘れられない一種独特の響きがある。 戦争の是非は別にして国民的誇りというものを感ずるのである。 たしかに零戦は明治以来,欧米に追いつき追い越せで奮闘してきた努力の集大成といってもよい。 欧米の技術に追いつき、部分的にではあるがそれを追いぬいたのである。
1942年6月4日、ミッドウェー海戦が終わった日の夕刻、空母エンタープライズの艦上で雷撃隊の護衛を務めた戦闘機隊長ジミ-.サッチが憤懣やるかたないといった調子で報告書を書いていた。
「我々が生きて帰れたのが不思議だ。 なんとか任務を果したのはわれわれの戦闘機の性能が優れていたからではない。 敵の射撃が下手だったのとときどきへまをやらかしたからだ。 なんとか零戦に照準を合わせられるのはうまくひっかけて照準を狂わせ、立ち直ろうとするところを別のF4Fが狙うようにしたときだけだ。 F4Fは零戦に比べ上昇力、運動性、速度でどうしようもなく劣っている。 この低性能は任務の遂行に支障をきたすだけでなくパイロットの士気に大きな影響を及ぼす。 これを避けるためには運動性では劣っても上昇力と速度に優れた戦闘機が必要である。」
零戦はいい意味でも悪い意味でもまことに日本的な戦闘機であった。 ミッドウェー海戦直前にアラスカで捕獲された零戦をアメリカが克明に調査した資料にも述べられているが、どこといって目新しさはないが、すみからすみまできめ細かい配慮、工夫がなされ、使い勝手がいいようにていねいに設計されている。 現在アメリカの自動車工業で不振をきわめるGM,フォードを尻目に快進撃を続けるトヨタ車のよさにつながるものがあるといえようか。 捕獲した零戦を操縦したアメリカ人パイロットも感嘆しているように操縦感覚は抜群、微妙な動きでも操縦者の意のままであった。 しかしその報告書は零戦の高性能は機体強度の不足、防弾の欠如という犠牲のもとに達成されたものであり、また日本人は重量軽減のためには工数が増加することを気にしないようだと指摘している。
零戦はいわば鍛えぬかれた手作りの名刀のようなものであった。 名人の手にかかれば絶大な威力を発揮するが、新米の手ではすぐ刃こぼれがしてしまう。
零戦は運がよかったことも確かである。 環境に恵まれたといってもよい。 登場した時点では世界のトップクラスの戦闘機であったし、それにふさわしく活躍した。
開戦当初、イギリスではエースであるスピットファイアは本土防衛のため温存されており、アジア方面にはハリケーンだけが派遣されていた。 またP-40,P-39といった戦闘機は当時アメリカ陸軍の主力戦闘機であったが、イギリス支援のために送られたものの、ドイツのメッサ-シュミットには歯が立たないとしてアジア、アフリカ方面に回されてきたしろものであった。 零戦の相手はこれらいわばニ戦級であったが、それでもその相手には圧勝した。 オリンピックと同じでそのときの相手に勝てばよいので、いくら世界記録保持者でも本番で勝てなかったらなんにもならないし、大会が終わってからどんなすごい選手が現れてもしょうがない。 宿敵アメリカ海軍のグラマンF4F戦闘機にたいしてはかなりてこずったが、これは相手がいくらパンチを浴びせてもなかなか倒れない頑丈なボクサーのようなものであったからで、判定としては圧倒的に零戦に歩があった。 グラマンの低性能をチームワークによってカバーしたアメリカ海軍パイロットの努力をむしろ誉めるべきであったろう。 ミッドウェー海戦の後でアメリカの戦闘機パイロット達が海軍本部に対して、零戦に対抗できる戦闘機をくれと悲鳴に近い手紙を送っていることでも分かる。
零戦の登場した時代は日本海軍は熟練したパイロットに恵まれていた。 真珠湾攻撃のときの日本海軍のパイロットの平均飛行時間は800時間で、しかも中国戦線以来のベテランぞろいであったのに対し、アメリカ海軍パイロットのそれは200時間であり実戦経験は皆無であった。
いいパイロットの腕にかかれば零戦は無類の戦闘機であったし、その能力を発揮する条件にめぐまれていた。 零戦は日本海軍の当時の状況にマッチした戦闘機であったのである。
一方ではアメリカの航空史研究家のルンドストローム氏の、日米双方の記録を綿密につきあわせた調査では、昭和17年2月から6月のミッドウェー海戦の終わりまでの戦闘機同士の戦闘で、日本側は九六式戦闘機3機と零戦14機が撃墜されたのにたいし、アメリカ側はF4F戦闘機を10機失ったのみである。 アメリカ側の記録を読むと出合がしらに一撃して零戦を撃墜したというようなものばかりでグラマンF4Fが零戦を格闘戦で追い詰めて撃墜するという場面は皆無である。 反対に零戦に撃ちまくられながらもグラマン戦闘機の頑丈さと防弾板に救われ、なんとか生き延びるシーンがたくさん出てくる。 戦闘をなんどもくぐり抜け生き延びたものが歴戦のパイロットになっていくのであるが、防弾がなければ、経験を重ねてベテランになる前にやられてしまうことになる。 日本に幸いしたことは、アメリカとの戦争に入る前に中国と戦っていたことである。 質量ともに劣る中国空軍が相手であったため未熟なパイロットでも経験を積む余裕があった。 アメリカ相手の戦争で多くの熟練パイロットが戦死してしまったあとではその弱点がもろに出てきてたちまち凋落の道をたどることになったのである。
形式: 艦上戦闘機 エンジン:中島NK1C栄12 空冷950馬力 最大速度:534km/時(高度 4,550m) 巡航速度 333km/時 航続距離:3,105km 上昇時間 7分27秒(6,000mまで) 上昇限度:10,100m 自重:1,680kg 全備重量:2,796kg 全幅:12.0m 全長:9.06m 武装:20mm機関砲2門 7.7mm 機関銃2挺 生産台数:11,283
辻 俊彦「零戦ーアメリカ人はどう見たか」芸立出版
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Vol.21
Ed.: David Donald “Encyclopedia of World Aircraft” Prospero Books 1999
Military Aviation Library,“World War 2 Japanese and Italian Aircraft”, Salamander Books Ltd., 1985
Christy Campbell “Air War Pacific”, The Hamlyn Publishing Group Ltd., 1991
佐貫亦男監修“第二次大戦機”徳間書店、1988
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
Robert C. Mikesh “Japanese Aircraft 1910-1941” Putnam Aeronautical Books 1990
Ray Wagner “The Air War in China 1937-1941” San Diego Aerospace Museum, 1991
Robert C. Mikesh “Broken Wings of the SAMURAI” Naval Institute Press, Annapolis, Maryland
堀越二郎、奥宮正武 “零戦” 朝日ソノラマ
岡村 純他“航空技術の全貌” 原書房
野沢 正 “Encyclopedia of Japanese Aircraft” 共同出版