1942年夏、海軍と中島はN-20と仮称される次期双発戦闘機の研究を開始した。 当時アメリカでは超大型爆撃機B-29の開発が進行中であるとの情報が入り、N-20は必然的にこれと対決せねばならないこととなり、N-20計画は海軍18試乙戦の名で対爆撃機専用戦闘機として開発が始められた。 本機の最大の特長は火力と装甲であった。 武装は機首下面に30mm機関砲2門と20mm機関砲2門を備え、各砲700発の弾丸を備えていた。 また空気抵抗を少なくするため、銃口はカバーをして射撃時のみに開くようにする計画であった。 B-29編隊の防御弾幕を突破して攻撃することになるので、すべての装甲を前面に集中、操縦席前面には20mmの装甲板、風防は50mmの防弾ガラス、主翼前縁の燃料タンクにも装甲を施すといった徹底ぶりであった。 天雷の設計に当たって第一に配慮されたことは、部品の数を減らして組みたて工数を減らすと同時に前線での整備を簡単にすることであった。 1,950馬力の中島誉21空冷エンジン2基を搭載、1944年7月に初飛行した。 続いて5機が完成した。 最後の2機は複座型であったがこれは後部に計測員用の座席を設けたものである。 大量生産に移る予定であったが、当時の誉エンジンが計画どおりの馬力が出ず、最大速度は600km/時そこそこで他の数値も計算値を下まわるものであった。 視界だけは日本機中最良と褒められたが、キャビンに排気ガスが入りこみ、脚の引っ込み装置の故障が多いという欠点があり、さらに進行方向の安定性と低速での方向舵の効きが悪く、テスト中に1機が墜落したほどであった。 さらに2機がアメリカの空襲で破壊、もう1機は脚の故障で不時着して大破というありさまで、これ以上欠点を修正して量産にまでこぎつける見こみがなかったので海軍から開発中止の判断を下されてしまった。
形式: 双発単座迎撃戦闘機 エンジン: 中島誉21空冷18気筒1,990馬力 最大速度: 618km/時(高度 6,000m) 巡航速度 461km/時 航続距離: 920km 上昇時間: 8分(6,000mまで) 上昇限度: 10,800m 自重: 5,200kg 全備重量: 8,207kg 全幅: 14.50m 全長: 11.50m 武装:30mm機関砲2門、20mm機関砲2門 生産台数:6
航空情報編 「日本軍用機の全貌」
William Green “War Plane of The Second World War Vol.3” Doubleday & Company, 1960
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7”
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988