川西 紫電 (N1K1)

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モデルは MPM製 1/72

 15試水上戦闘機(強風)を1942年8月に成功裡に初飛行させた川西航空機KKは続いて陸上基地から発進する迎撃戦闘機の開発に着手した。 当初は強風から単にフロートを引き込み式車輪に置き換えるだけの変更を予定していたが、性能向上のためにエンジンを当初予定の14気筒火星エンジンから18気筒の中島誉エンジン(1,990馬力)に替え、さらにこの強力なエンジンをフルに活用するために大型の4翔プロペラが採用されることになった。 機体は強風と同じく中翼型であったため主脚を長くせざるを得ず、そのため主翼内に収容するとき長さを縮めるといった複雑な機構が取り入れられた。 逆に着陸するときはまず主脚を出しそれから脚を伸ばし必要な長さにするわけである。  紫電と名づけられた本機は1942年12月に試作機が完成した。 飛行テストでは装着したコンバットフラップの効果もあって素晴らしい性能を示し海軍を狂喜させた。   日本海軍は当時すでに実戦に投入されていたアメリカのグラマンF6FヘルキャットやチャンスボートF4Uコルセアといった高速で重量級の戦闘機に対抗できる戦闘機の開発を急がれていたために、紫電の初飛行が行われる前に大量生産命令が下されていた。 したがって量産開始に至るまで十分な検討の時間がなく、数々の技術的問題解決が量産段階にまで持ち越され、これが生産疎外の大きな原因となったのである。  1943年末までには70機が完成し紫電11型という型式名を与えられた。 パイロットの訓練が始められたが、最初から複雑な主脚機構とエンジントラブルに悩まされた。  アメリカのフィリピン上陸作戦が予想されたので紫電11型でなる第201航空隊がセブ島に派遣されたがアメリカ軍の強襲により数機が地上にあるうちに失い、さらにエンジンと主脚不良の事故が相次ぎ戦力低下につながった。 しかし空中戦では威力を発揮し、ベテランパイロットの手になると手ごわい相手になって日本戦闘機中最優秀機であるという評価を得るにいたった。  紫電は当初武装は胴体内の7.7mm機関銃2挺と主翼の20mm機関砲2門であったが後に胴体の7.7mm機関銃を廃し主翼の20mm機関砲4門となりこの型がもっとも多く生産された。 また戦闘爆撃機型として胴体下部に250kg爆弾を吊り下げるようにしたのもある。 1943年、紫電11型の生産が始まると同時に本機を低翼型に変更して主脚を短くしてやっかいなメカニズムを廃する検討が始まっていた。 これが後に紫電改として登場し終戦間際に勇名を馳せることになるのである。

 
性能諸元(N1K1J)

形式: 単座局地戦闘機   エンジン:中島 NK9H 空冷 1,990馬力   最大速度:567km/時(高度 5,900m)  巡航速度 360km/時(高度2,000m)   航続距離:2,530km(最大)   上昇時間:7分50秒(6,000mまで)   上昇限度:12,500m   自重:2,897kg   全備重量:4,321kg   全幅:12.0m   全長:8.89m   武装:20mm 機関砲4門、爆弾 500kg   生産台数: 539 

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
William Green “War Plane of The Second World War Vol.3” Doubleday & Company, 1960
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
“Air Enthusiast” Apr. 1973
William Green “Famous fighters of the second World War” 1957