紫電11型の性能は期待を上回るものであったが、一方では種々のトラブルに悩まされ、戦隊の稼動率低下を招いた。 その理由のひとつは紫電は水上戦闘機強風を急遽陸上戦闘機に改造したものであるためであった。 そのひとつはブレーキの効きが極端に悪いことであった。 パイロットは着陸時の滑走距離をちじめるためにわざわざ舗装してないでこぼこの地面に着陸するほどであった。 また強風の中翼構造をそのまま引き継いだため、主脚が長くなりそのためのトラブルがあいついだ。 1943年半ば、川西航空機は根本的な設計変更に乗り出し、その結果生み出された紫電改は海軍最強戦闘機と賞賛を受けたのである。 低翼構造にして主脚の問題を解決したほか徹底した構造の簡素化をはかり、部品点数は紫電の66,000個にたいし43,000個と2/3になった。
1943年12月、紫電改の初飛行が行われ、ただちに海軍の承認を受け、紫電21型の型式名が与えられた。 すでに猛威をふるっていたグラマンF6Fヘルキャットと対等に勝負できる戦闘機が登場したのである。 「烈風」のおくれから海軍当局はこの「紫電改」に期待をかけ、生産を三菱、愛知、海軍工廠などにも委託し月産1000機をもくろんだがB-29の爆撃、誉エンジンの供給不足、その他問題続出で生産はなかなか軌道に乗らず、結局終戦までに428機の生産にとどまった。 1945年3月、生き残りの精鋭パイロットで構成された343航空隊はグラマンF6F,ヴォートF4Uを相手に大活躍をしたが、結局多勢に無勢戦局をくつがえすのはいたらなかった。
形式: 単座局地戦闘機 エンジン:中島 NK9H 空冷 1,990馬力 最大速度:594km/時(高度 5,600m) 巡航速度 370km/時 航続距離:2,080km 上昇時間:7分22秒(6,000mまで) 上昇限度:10,760m 自重:2,657kg 全備重量:4,860kg 全幅:12.0m 全長:9.35m 武装:20mm 機関砲4門、 爆弾 500kg 生産台数: 428
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
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