横須賀 R2Y1 景雲 偵察機 

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モデルは FineMolds製 1/72

太平洋戦争が始まって早い時期に日本海軍は敵地を高速で突破できる偵察機の必要性を感じており17試偵察機として計画が練られた。 目標仕様は648km/時(高度6,000m)で第一海軍航空技術廠がその任に当たることになった。 型式名はR1Y1、名称としては星雲が与えられた。 エンジンは三菱が開発中の液冷24気筒(2,500馬力)が搭載される予定であったが、これが大幅に遅れる見通しであったために三菱MK10A空冷エンジン2基を搭載ということになった。 この結果機体は同じ海軍航空技術廠で開発されている爆撃機銀河によく似た形態となったが速度の計算値が目標を大幅に下回りそうであったためにこの計画は放棄された。  海軍は1943年初め第18試偵察機としてドイツのハインケル社から得ていたHe119V4のアイデアを採用することにした。 これは2基のエンジンを操縦席背後に収め、延長シャフトで機首の6翔プロペラを駆動するもので名称は景雲になった。 当初は設計は順調に進んだものの戦局が激しくなり、軍としても戦闘機と爆撃機の開発に重点を移さざるをえなかった。 しかも1944年のマリアナ沖の海戦で敗れ、連合軍の進撃速度が高まり、高速の偵察機の必要性がなくなってしまった。 1944年後半、海軍工廠の技術者たちは高速偵察機の替わりに高速のジェット爆撃機の開発に注力すべきとの提案をした。 構想は胴体のスペースは燃料タンクとして使い、2基のジェットエンジンは両側の主翼の下に吊り下げるというものであった。 800kgの爆弾は胴体の下に吊り下げ最大速度は海面上で430ノットという計算であった。 海軍はこの数値に喜び全面的に支援することになり、開発中のR2Y1の機体はジェットエンジン搭載前のテストに使われることになった。  1945年4月R2Y1の試作第一号機が完成したが早くも滑走テスト中に前輪の車軸の強度不足が発見され、さらにエンジンの過熱問題に悩まされた。 5月には初めての飛行テストが行われたがエンジン加熱のため飛行は短時間で中止せざるを得なかった。 その対策を検討中に機体はアメリカ軍の爆撃のため破壊されてしまったのである。

 
性能諸元(R2Y1)

形式: 高速複座偵察機   エンジン:愛知HA70(愛知HA30アツタエンジン2台の連結)3,400馬力   武装(R2Y2のみ):20mm機関砲2門、爆弾800kg   最大速度(計画値):715km/時(高度10,000m)  巡航速度 450km/時   上昇時間:10分(10,000mまで)  上昇限度:11,700m   航続距離:3,510km   自重:6,015kg   全備重量:17,857kg   全幅:14.0m   全長:13.05m   生産台数: 1

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Rene J Francillon “Japanese Aircraft of the Pacific War” Putnam Aeronautical Books 1988
William Green “War Plane of The Second World War Vol.5” Doubleday & Company, 1960
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
航空情報編 「日本軍用機の全貌」