1938年、パリのエアショウに本機が出品されたときイギリスからは、これはイギリスのライサンダ―の真似であると酷評されたが、実態はポーランドの独自設計である。 同じL.W.S.社のL.W.S.2からの発展形でとくに主翼は同国のRWD9のコピーであった。 初飛行は1937年秋でそのときはノ-ム.ローヌ14M01エンジン(715馬力)を装備、2翔の木製プロペラを駆動した。 生産の準備は1938年暮れから始まり、月25機の割合で200機を生産することになっていた。 しかし搭載予定のノ-ム.ローヌ 14M05 エンジンのライセンス生産契約が遅れ、アビアの工場で生産されるのは1940年以降であったのでそれまではフランスからエンジンの完成品を買わざるをえなかった。 それも種々の手違いで遅れたが、第二次大戦が勃発したときには40機がほとんど完成しておりプロペラ部品を待つばかりになっていた。 9月2日の朝、最初の量産機がテスト飛行に飛びあがった5分後に工場はドイツ軍の爆撃にあって発進するばかりであった二番機は損傷してしまった。 残存の機体はドイツ軍によって接収されどこかに運ばれたが、その後どうなったのかは不明である。 ブルガリア政府はL.W.S. 3に興味を示し、1939年春にはフィアットエンジンを搭載した型をL.W.S. 3Bとして60機発注している。 L.W.S. 3は離着陸に要する距離も短く、またあらゆるスピードにおいて操縦安定性に優れきわめて快適な飛行機であった。 しかしイギリスのライサンダ―やドイツのヘンシェルHs 126と同じく戦争が始まった時点では戦闘用としては時代遅れであった。
形式: 偵察機 エンジン:ノ-ム.ローヌ 14MO5 空冷730馬力 武装:7.7mm機関銃2挺、7.7mm 旋回式機関銃2挺 最大速度:300km/時(海面), 360km/時(高度 3,600m) 上昇時間:1分40秒(1,000mまで) 上昇限度:8,500m 自重:1,748kg 全備重量:2,420kg 全幅:13.45m 全長:9.5m 生産台数:20
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 Jerzy B. Cynk “Polish Aircraft 1839-1939” Putnam, London, 1971 Bartlomiej Belcarz “White Eagles- The Aircraft,Men and Operations of the Polish Air Force 1918-1939” Hikoki Pubrication O.G.Thetford & H.J.Cooper “Aircraft of the Fighting Powers”