ポーランド

ポーランドの航空機産業の発達はきわめて緩慢であった。 第一次大戦が終わってから10年間もポーランド空軍は外国製の航空機に依存していたのである。 自主開発を計画し、国有企業としてPZLとして設立したのは1928年のことであった。 フランスのブレゲー社で働いていた技術者ジグムント.プロースキーの指導の下で PZL P1戦闘機をはじめ爆撃機、輸送機などの開発を行い、その高性能を国外でも評価され輸出されるほどになった。 1938年に至り航空産業の本格的な増強が計画された。 内容は1942年までに近代的な戦闘機330機、爆撃機271機を製造するというものであった。 計画は遅延し、1939年9月までには民間機を含めて215機が完成したに過ぎなかった。 ドイツ軍が侵略を開始したときポーランド空軍は約900機を保有していたがほとんどが機はすべて時代遅れのものであった。 それでも質量ともに圧倒的に優勢なドイツ軍相手によく戦い、軍が壊滅するまでに236機のドイツ機を撃墜している。 ポーランド降伏後はパイロットたちはイギリス、フランスに亡命しそこで戦い続けた。 とくにイギリス上空の防衛戦いわゆるバトルオブブリテンには145人のポーランド戦闘機パイロットが参加し、ドイツ機撃墜126機というめざましい戦果をあげている。  

  

(箱の写真のものはまだ未完成)