L.W.S. 6

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モデルは BROPLAN製 1/72
バキュームフォームキット

どこの航空機製造会社でも多大の労力と時間をかけて開発した機体が惨憺たる失敗に終わった経験があるものであるが、L.W.S. 6もそのひとつである。 もともとは1933年に双発旅客機として開発が始められたものであるが、航空会社の興味をひかなかった。 一方ポーランド空軍は多少の関心があり試作の推進を指示した。 当時開発中であったP.Z.L. 37はあまりにも斬新すぎ、従来の旧式機種に慣れた乗員を再訓練するには時間がかかりすぎるという理由でもっと安上がりで保守的な機種も必要であるとの結論に達したのである。 当初P.Z.L.30の型式名で進められた本機の構造は奇妙な組み合わせであった。 単葉肩翼式の主翼は木製で胴体前半は金属製、後半は溶接鋼管の骨組みに羽布張りであった。 主脚は引っ込み式であったが引き込まれるのは車輪だけで脚は露出したままという中途半端な設計であった。 テスト飛行は順調で、とくに競争相手のP.Z.L. 37の洗練されたしかし極端に狭い胴体にくらべて本機のそれはひろくゆったりして乗員には好評であった。 これに気をよくした空軍当局は本機の開発の推進を指示し、担当はL.W.S.社に移された。 そこでL.W.S. 4の型式を与えられ、垂直尾翼を2枚にした型L.W.S. 6とともに進められた。 ルーマニアも本機に興味を示し24機を発注したが、1936年11月ルーマニアの購買使節団を招いてのデモンストレーションの最中に空中分解、契約は解消されてしまった。 L.W.S.社にとっては唯一の製品であったので他の契約を維持すべく必死の改良努力がなされたが、その結果さらに重量増加と性能低下を招いた。 1939年始め、ようやく就役を開始したが、フランスから輸入した引き込み式の主脚の故障が多く、脚をだしたままの飛行をするというありさまであった。 ドイツ軍の侵攻を受けたときも前線の間に合わせの飛行場からは爆弾を搭載した状態では離陸できず、事実上無力の存在であった。   

 
性能諸元(L.W.S. 6)

形式: 双発爆撃機   エンジン: P.Z.L.(ブリストル)ペガサス VIII 空冷9気筒680馬力   武装:7.7mm 旋回式機関銃5挺、爆弾1,200kg   最大速度:380km/時(高度 4,500m)   巡航速度 300km/時   上昇限度:8,000m   航続距離:1,250km 全備重量:6,876kg  全幅:18.5m  全長:15.4m

参考文献

Jerzy B. Cynk “Polish Aircraft 1839-1939” Putnam, London, 1971 Bartlomiej Belcarz “White Eagles- The Aircraft,Men and Operations of the Polish Air Force 1918-1939” Hikoki Pubrication