B-24はデービス翼と呼ばれる細長い主翼を持った最初の機体である。 B-24は大戦の全期にわたってすべての戦線で活躍したが、そのハイライトといえるものはドイツ軍のエネルギーの心臓部であるルーマニアの油田があるプロエステイへの攻撃であろう。
主翼は胴体上部につけられているため胴体内を広く使え大型の貨物、武器などの搭載に配慮されていた。 尾翼は2枚型で前輪型の降着装置であった。
爆弾搭載は3,630kg、各爆弾は垂直方向に立てかけて収納された。 防御火器は機首の7.62mmブローニング機関銃1挺と胴体の上下方、横、尾部に同口径の機関銃が装備された。
開発はコンソリデ―テッド社で行われ初飛行は1939年12月29日、契約日の前日であった。 アメリカ陸軍はテスト用として7機を発注、フランスも同時期に120機、イギリスも164機を発注している。
アメリカ陸軍向けの7機は1940年に引き渡されたが、重量は当初より300kg近く増加していた。 フランス降伏にともないフランスが発注していた分はイギリスに引き継がれリベレーターと名づけられた。 最初の6機の引き渡しは1941年3月である。 その長大な航続距離を生かして無武装の大西洋横断輸送機として使われた。 続く20機には空対地レーダーと四門の20mmイスパノスイザ機関砲が装備され対潜水艦哨戒任務に使われた。
アメリカ陸軍に配備され始めたのは1941年6月のことである。 当初は主に輸送任務についた。 うちの1機はセルフシーリング燃料タンク、防弾板が装着されエンジンにはターボチャージャーが各エンジンの下部に取り付けられた。 ターボチャージャーのおかげで最高時速は440kmから498kmに増加した。 この型はさらにマーチン社製の2挺の12.7mm機関銃からなる動力銃座が胴体上下と尾部に設けられたB-24Cとして9機が作られた。
最初の大量生産型であるB-24Dがアメリカ軍に本格的に使われた型である。
B-24主任務は爆撃であって1942年6月、23機が中国に派遣するつもりでエジプトに送られたが、計画変更で前述のプロエステイ攻撃に参加することになったのである。 エジプトを発進した13機は敵レーダーを避けるために地中海を海面すれすれの低空飛行で目標に迫り爆弾投下のあとイランまで飛行する予定であった。 結果はそのうちの7機だけが予定のコースをたどり、2機はシリアに着陸、残りはすべて撃墜されてしまったのである。
ヨーロッパ戦線ではややボーイングB-17の陰にかくれてしまった感があるが、B-24はあらゆる戦線で活躍した。 とくに中近東とアジア方面ではその長大な航続力と搭載量の特長をいかし爆撃、哨戒、輸送とあらゆる戦線で活躍し、18000機以上というこの種の大型機としては驚異的な量の生産が行われた。
形式: 4発大型爆撃機 エンジン:プラットアンドホイットニー R-1830-43 空冷1,200馬力4基 最大速度:488km/時(高度 7,260m) 巡航速度 322km/時 航続距離:4,586km 上昇時間 22分(高度6,096mまで) 上昇限度:9,754m 自重:14,790kg 全備重量:27,214kg 全幅:33.53m 全長:20.22m 武装:12.7mm 旋回式機関銃12挺 爆弾 3,992kg 生産台数:18,482
F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.16”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
John Wegg “General Dynamics Aircraft” Putnam Aeronautical Books 1990