ノースアメリカン B-25 ミッチェル

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モデルは ITALERI製 1/72

 1942年4月18日、16機のB-25双発爆撃機が空母ホーネットを飛び立ち1000km以上離れた東京を目指していった。 レーダーによる検知を避けるため荒天のなかを海面すれすれの高度で飛行し、目標を爆撃した後は中国本土にたどり着き、整備もろくにされていないしかもこれまで行ったこともない飛行場に着陸せねばならないのである。 これは太平洋における最大級の大胆な作戦であった。 指揮官ジェームズ.ドーリットルのもとに成功したこの作戦は実質的な効果より、心理上多大な効果をもたらした。 本土が爆撃されたことに日本海軍は驚愕し、このために無理やりミッドウェー作戦を実施して壊滅的な打撃を受けたのである。  B-25は最高の双発爆撃機のひとつで11,000機以上が製造され、9,800機が太平洋戦線で使われ、残りがヨーロッパ戦線で活躍した。 900機がソ連に供給されている。  開発計画は1938年に始まり第1号機は1939年3月に事故で失われたが、この種の爆撃機が緊急に必要であったアメリカ陸軍はその改良版がまだ設計図面の段階にあった時点でB-25として184機を発注した。 試作機は1940年8月に初飛行した。 いくつかの点が改良された後、早くも量産型がB-25Aとして40機が作られ1941年から前線に配備された。 その後B型、C型と武装の強化型が生産された。 1942年、3機のB-25が実験的な試みのために改造された。 そのうちのひとつがB-25のシリーズのなかでもきわだった存在となったB-25Gである。 B-25Gは機首に75mm砲を備えたもので405機が生産された。 しかしこの型はいくつかの問題点があったので生産はつぎのH型に移行した。 B-25Hはシリーズのなかでももっとも重武装を備えたもので、機首に12.7mm機関銃を8挺、防御として6挺備えられた。 この型は1,000機作られ、1944年2月から太平洋方面で使われ対日本船舶攻撃に猛威をふるった。 戦争の全期をつうじてB-25は太平洋、アラスカ、ヨーロッパ、アフリカ、ロシアとあらゆる前線で使われたが、とくに太平洋で日本軍が守備する島を攻略していく作戦で上陸軍の援護にあたって絶大な威力を発揮した。  B-25はアメリカだけでなくイギリス、フランス、ソ連に供給されて枢軸国側と戦い、戦後は中国、インドネシア、チリ、ブラジルなどで1960年代まで使われている。

 
性能諸元(B-25D)

形式: 双発爆撃機   エンジン:ライト R-2600-13 空冷1,700馬力2基   最大速度:457km/時(高度 4,572m)   巡航速度 375km/時   航続距離:2,414km   上昇時間 16分30秒(高度4,572mまで)   上昇限度:6,462m   自重:9,208kg   全備重量:15,880kg   全幅:20.6m   全長:16.12m   武装:12.7mm 旋回式機関銃6挺 爆弾 1,361kg   生産台数:9,816 

参考文献

F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
William Green “War Plane of The Second World War Vol.4” Doubleday & Company, 1960
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.1”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Gordon Swanborough “United States navy Aircraft since 1911” Naval Institute Press 1968
Norm Avery "North American Aircraft since 1934 to 1998"