1939年アメリカ空軍は現用のボーイングB-17、コンソリデーテッド B-24よりはるかに航続距離の長い大型爆撃機の仕様を発表し、これに対してボーイング、コンソリデーテッド、ロッキード、マーチンの4社が応じ設計案を提出してそれぞれXB-29、XB-32、XB-31.XB-27の型式が与えられた。 後にロッキードとマーチンは辞退したが、ロッキード社の設計案は戦後有名なコンステレーション旅客機として日の目をみたのである。
コンソリデーテッドXB-32はデービス型の細長い主翼など全般的にB-24と同じような構造であった。 エンジンは2,300馬力のライト R-3350 4基、乗員のいるところは与圧され、5基のリモコン操作の旋回銃座が装備され、全備重量は50トンと見積もられた。
1940年8月2機の試作機が発注され、続いて1942年6月には13機のXB-32の発注を見た。 エンジンや与圧キャビンの問題で試作機の開発が遅れ、初飛行は1942年9月になったが飛行後20分で垂直尾翼の動作不良で緊急着陸を余儀なくされた。 相次ぐ技術的トラブルを克服し1943年2月、300機の発注を受けたものの空軍からは本機の設計は時代遅れであり、もう大きな改善を計画しないほうがよいと言いわたされてしまった。 ライバルのボーイングB-29はすでに量産体制に入っていたが、あまりにも野心的な計画であったためにアメリカ陸軍としてはB-29が失敗したときのバックアップとしてB-32を発注しておいただけであったのである。
防御火器としては12.7mm 2連装の5基の銃座を備えていたが、与圧キャビンは断念された。 量産型は1944年9月にようやく初飛行したが、ボーイングB-29は6月にすでに実戦に使われていた。
B-32は飛行性能は良好と評価され、とくに着陸時の安定性が非常によかったが爆撃照準の視界不良、エンジンナセルの形状からくるエンジン故障多発などのため1945年5月には全面的に飛行禁止の措置を受けてしまった。 それでもB-29の不足から数機は沖縄方面で主に偵察任務に従事した。
形式: 4発大型爆撃機 エンジン:ライト R3350-23 空冷2,200馬力4基 武装:12.7mm 旋回式機関銃10挺、爆弾9,450kg 最大速度: 576km/時(高度7,620m) 上昇限度:10,680m 航続距離:6,080km 自重:27,365kg 全備重量:50,576kg 全幅:41.2m 全長:25.02m 生産台数:118
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.17”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963
John Wegg "General Dyanmics Aircraft and their Predecessors" Naval Institute Press
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