カーチスP-40を有名にしたのは1941年12月から翌年7月にかけて中国で活躍したアメリカ義勇軍のフライングタイガースである。
カーチスP-40はアメリカでもっとも多くの物議をかもした戦闘機であった。 ヨーロッパからアフリカ、ロシア、太平洋方面と全域にわたって使われたがどこにいっても相手戦闘機の性能に及ばなかったのに大戦中長期に渡って生産され、その数は13,740機に達した。 驚くべきは性能のすぐれたP-47,P-51といった新型戦闘機がすでに大量生産されていた1944年12月まで生産が続いたことで、これはアメリカ議会でも問題になった。 同じエンジンを搭載していたベルP-39と同じく高空性能の悪さがその原因であったし、機体設計全体でもきわだって優れていたわけでもなかったが、ベルP-39とならんで大戦の前半はアメリカ陸軍のもっとも重要な戦闘機であった。 理由は大量に生産できる戦闘機が他になかったからである。 1939年4月、アメリカ陸軍は524機のカーチスP-40を発注した。 これは航空機発注の史上最高額であった。 競争会社はベル、ロッキード、リパブリックなどがありこの発注には多くの物議をかもした。 カーチス社が選ばれた理由はすでに大量生産体制を整えていたからである。
P-40の設計は1937年に始まった。 すでに生産されていたP-36戦闘機に液冷式のアリソンエンジンを搭載するのが基本的な開発構想であった。 初飛行は1938年10月、テストの結果は悪くはないが傑出したものでもなかった。 高度3,600mにおける最高速度は544kmで、イギリスのハリケーンよりは優れているが、スピットファイアやドイツのメッサ-シュミット Bf.109Eには劣っていた。 1940年9月までには200機がアメリカ陸軍に配備され、140機がイギリスに送られた。 これらは防弾がなく武装も貧弱であったのでイギリス空軍では訓練用として使われた。 1941年に登場したB型では武装が強化され、防弾板とセルフシーリングタンクを備えていたが、イギリス空軍の評価では性能的にドイツ戦闘機には対抗できないとしてアフリカ戦線に回されてしまった。
中国で活躍したフライングタイガースの有名な機首の鮫の絵はイギリスのアフリカ戦線部隊で描かれていたものをベースにしている。
1942年になってエンジンをイギリスのロールス.ロイスのマーリンエンジンを搭載したF型が登場し、高空性能は大幅に向上したが、このエンジンはノースアメリカンP-51ムスタングに優先的に使われたため、この型の生産台数は1300機にとどまり目立った活躍は見られなかった。 さらに改良をはかるため、機体を軽量化した型も生産されたが、最後まで一流の性能を持つことはできなかった。
形式: 単座戦闘機 エンジン:アリソン V-1710-33 液冷12気筒 1,040馬力 最大速度:566 km/時(高度 4,572m) 巡航速度 439km/時 航続距離:1,980km 海面上昇率 872m/分 上昇限度:9,875m 自重:2,536kg 全備重量:3,447kg 全幅:11.38m 全長:9.67m 武装:12.7mm機関銃2挺、7.7mm機関銃2挺 生産台数:13,740
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