ベル P-59 エアラコメット 

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モデルは KARO-AS製 1/72

アメリカのジェットエンジンの歴史は1941年ハップ.アーノルド将軍がイギリスのホイットルのジェットエンジンとグロスターの試作機を見たときに始まる。 ジェットエンジンに感銘を受けた将軍はただちにライセンス契約を結ばせゼネラルエレクトリック社がエンジン開発を担当することになった。 その年の9月アメリカでもジェットエンジン機を作ることが決定され、野心的な開発を行うことで知られるベル社が選ばれた。 ベル社にとってもこれは大冒険であった。 開発契約は9月4日に結ばれたのであるが試作機の完成はその8ヶ月後というものであったのである。 当然のことながら開発はごく秘密裏に行われた。 人員、建物は極秘に扱われ飛行機の型式名はXP-59が与えられたのであるが、表向きにはまったく違う飛行機ということになっていた。 試作機はオーソドックスな形態で2基のジェットエンジンは主翼の根っこに収められ、操縦席は与圧キャビンになっていた。 武装は2門の37mm機関砲であった。 機体の製作は契約後の3か月から始まったが、結局GEが担当するエンジンが遅れ試作機の完成は1942年9月であった。 初飛行は10月1日である。 なにしろ初めてのジェットエンジンであるからテスト飛行はゆっくりと慎重に行われたが、それでもタービンブレードのはずれ、ベアリングの過熱、燃料ポンプの不具合などが検出された。 試作2号機、3号機が加わったが依然としてテストは慎重に行われ、その間アメリカ陸軍はテスト用として13機を発注、これらはYP-59と名付けられた。 最初のYP-59は1943年8月に初飛行し速度654km/時を記録した。 9月中にさらに6機が完成し、そのうちの1機はグロスター.ミーテイアと比較のためイギリスに送られた。 1944年12月ロッキードP-38とリパブリックP-47を相手に模擬空戦が行われたがYP-59はこれらのピストンエンジン戦闘機に歯が立たずまだ実戦には無理であるとの結論になってしまった。 それでも100機のP-59が発注され、さらに250機が計画されたが後にキャンセルされ50機だけが作られた。 これらの機体は種々のテストやパイロットの訓練用として使われた。 おもしろいのは捕獲されたゼロ戦52型と空戦テストが行われていることである。  

 
性能諸元(P-59)

形式: 単座ジェット戦闘機   エンジン:ゼネラルエレクトリック I-16s 推力900kg 2基  最大速度:658km/時(高度 10,670m) 605km/時(高度1,525M)  巡航速度 480km/時(高度6,095M)  航続距離:384km  上昇率:975M/分  上昇時間:3.2分(高度3,050mまで)   上昇限度:14,090m  自重:3,606kg  全備重量:5,902kg  全幅:13.87m  全長:11.62m  武装:37mm機関砲1門  生産台数: 50

参考文献

a.J.Pelletier "Bell Aircraft since 1935" Putnam
William Green “War Plane of The Second World War Vol.4” Doubleday & Company, 1960
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963
Enzo Aegelucci "The Illustrated Encyclopedia of Military Aircraft" Chartwell Books Inc.