1939年末アメリカ陸軍航空本部は今までにない画期的な戦闘機を開発をするために各メーカーにたいして設計案を出すように要請した。 これに応じたのはカーチスの他にヴァルテイ社のXP-54、ノースロップ社のXP-56である。 カーチスの提案XP-55はこれらの中での設計コンテストでは2位の成績であった。 第二次世界大戦期でもっともユニークな機体のひとつであるカーチス Model 24あるいはXP-55は主翼を胴体後部に置き尾翼を機首部にもってきたいわゆるカナードタイプといわれる形式であった。 カナードタイプでは飛行安定性が得られないとしてライト兄弟の時代に否定されていたが、設計者によってはこのタイプの有利な点を活用しようとしてときどき取り上げられることもあった。 それでも結局は成功しなかったものであるからカーチス社がこれを採用したのは大冒険であった。 予定されていたエンジンは強力なプラットアンドホイットニー社の2,200馬力X-1800である。
1940年6月軍との間で開発契約が結ばれ初期開発データと風洞実験データの提出が求められた。 しかし実験データが不満足であるとされてアメリカ陸軍は興味を失ってしまったのでカーチス社は自費で実物大の実験機を作ることにした。 これはModel 24-Bと名付けられ、275馬力の小型エンジンを搭載、胴体は溶接鋼管に羽布張り、翼は木製であった。 この飛行テストの結果ではやはり進行方向の安定性が悪いことがわかりいろいろな形態の翼端構造が試みられた。 さらに垂直尾翼が尾部上下に設けられこれでかなりの改善が見られた。 1941年11月から翌年の5月までに169回の飛行テストが行われ、1942年5月XP-55として3機の発注をみたのである。 エンジンは当初予定のプラットアンドホイットニーのものが間に合わないとわかったので実績のあるアリソン V-1710 液冷エンジンが選ばれ、武装としては20mm機関砲2門と12.7mm機関銃2挺の予定であった。 試作第一号機は1943年7月に完成、ただちに飛行テストがはじめられた。 もともとカナードタイプで飛行安定性に問題があるうえ翼面荷重が大きいことがこれに輪をかけ、11月に入り失速テストを行ったとき機体が横転、操縦不能になって墜落してしまった。 パイロットはパラシュートで脱出している。 第二号機ではこれに対する改良が施され、さらに失速警報器もつけられたが依然として失速時の問題は深刻であった。 高度6,000m以下では失速テストをすることが禁じられた。 失速が急激におこりしかも回復するまでに高度低下が大きすぎるのである。 さらなる問題はエンジンの冷却であった。 フルロードでの飛行では高度5,000mで最高速度604km/時を記録したがこの程度では他のオーソドックスな戦闘機と比べても優位な点がなく、特異な形状からくる失速特性が他の戦闘機と違いすぎ戦闘機しては不適格と判断され開発は中止されてしまったのである。
形式: 単座迎撃戦闘機 エンジン:アリソン V-1710-95 液冷 1,275 馬力 武装:12.7mm 機関銃4挺 最大速度:628km/高度 5,883m 上昇時間 7分6秒(6,096mまで) 航続距離:1.022km 上昇限度:10,546m 自重:2,415kg 全備重量:3,497kg 全幅:12.36m 全長:9.01m 生産台数: 3
William Green “War Plane of The Second World War Vol.4” Doubleday & Company, 1960
F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Peter M. Bowers “Curtiss Aircraft 1907-1947” Putnam 1979