ギルバート.テイラー兄弟は1929年軽飛行機の製作会社を設立しテイラーカブという飛行機で知られていたが資金難に陥り、1937年パイパー社に買収されてこの飛行機はパイパーJ-3カブとして再登場した。 最初は40馬力のコンチネンタルA40-4を装備していたが、もっと強力なエンジンに替えて以来性能が向上し本機の人気が急上昇し、注文が飛躍的に増えたのである。 さらに1941年アメリカ陸軍が本機に注目し砲兵の弾着観測に使用することを計画し40機をO-59の型式名で購入した。 これをきっかけに本機は思ったより多くの用途に使えることが分かり、型式名もL-4に変わりアメリカ軍の行くところすべての戦線で連絡機として重宝された。 ドイツのフィーゼラー.シュトルヒと同じく低速で飛ぶことができ、少しでも空き地があれば平気で離着陸でき、指揮官などを運ぶのに使われ第二次世界大戦中に連合軍でもっとも多く使われた連絡機となった。 生産台数は合計12,125機というこの種の軽飛行機としては空前の生産台数になった。 このうち軍に使われたものが5,703機に達する。 変わったところでは250機がグライダー練習機として、エンジンを取り外し、そこに一人の教官と二人の練習生を載せるように改造されたものが使われている。
形式: 連絡機 エンジン:コンチネンタルO-170-3空冷65馬力 最大速度:140km/時(海面) 巡航速度:120km/時 航続距離:305km 海面上昇率:140m/分 上昇限度:2,835m 全備重量:553kg 全幅:10.72m 全長:6.78m 生産台数:12,125(民間用も含む)
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977 Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.16” Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998 F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963 Enzo Angeluchi "Illustrated Encyclopedia of Military Aircraft" Chartwell