アメリカ陸軍は1930年代の終わりになってもまだ複座の偵察機に関心を持っていた。 1939年にはカーチスのO-52偵察機を試作機の評価もしないうちから203機も発注するほどであった。 O-52の初飛行は1941年2月。 この種の航空機の最後といえるものであった。 以降は地上軍と協力する戦術偵察はもっと小型で離着距離の短い軽飛行機、長距離の戦略偵察は4発の大型爆撃機、強行偵察にはカメラ装備の戦闘機に道を譲るようになっていった。 O-52は同じカーチス社の複葉急降下爆撃機の単葉機版といえるもので主脚、機体尾部などはそのまま引き継がれていた。 機体そのものにはとくに不満足なところはなかったが、問題は本機が登場したころは出番がなくなっていたことにある。 少数機が日本による真珠湾攻撃以前に前線に配備されており実戦に参加したものと見られる。 大多数はアメリカ本土で訓練用に使われた。 残存の1機が現在オハイオ州の空軍博物館に展示されている。
形式: 観測機 エンジン:プラットアンドホイットニー R-1340-51空冷600馬力 最大速度:335km/時(高度 914m) 巡航速度 290km/時 航続距離:1,126km 上昇限度:5,944m 自重:1,919kg 全備重量:2,407kg 全幅:13.36m 全長:7.75m 武装:12.7mm 旋回式機関銃1挺 生産台数:203
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Peter M. Bowers “Curtiss Aircraft 1907-1947” Putnam 1979
F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963
O.G.Thetford & H.J.Cooper “Aircraft of the Fighting Powers”