ビーチ UC-43 トラベラー  

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モデルは SWORD製 1/72

1920年代、アメリカでは飛ぶ飛行機の主翼の上を歩いたり、他の飛行機に乗り移るなどの曲芸飛行が盛んになり多くの観衆を集めていた。 その後で希望者には飛行体験をさせたりして飛行機に対する関心を盛り上げていった。 多くのものが飛行機事故で死ぬことはあったが、その中から飛行機タクシーの商売を始めるものが現れた。 その中に後に飛行機制作会社を興したウォルター.ビーチとクライブ.セスナの名前があったのである。 この二人にロイド.ステアマンを含めた3人が作った飛行機製作会社はカーチス社に買収されたが、1932年ビーチは独立してビーチ航空機会社を設立した。 1950年にビーチは亡くなったが共同経営者となっていた妻の経営のもとにビーチ社は合計4,5000機もの飛行機を製造したのである。 ビーチ社の成功のカギとなったのはモデル17である。 この前に作ったモデル17Rは1932年11月に完成し、当時は8人だけであった従業員の目の前でモデル17Rは時速97kmから322kmの範囲で安定した飛行を見せた。 もっとも特徴的であったのは複葉機では上の主翼は下の翼の真上に位置するか少し前にあるのがふつうであったがモデル17Rではうえの翼が少し後方に位置していることであった。 このほうがスピードと飛行安定性でよりよい結果がでることが実験で証明されたからである。 基本構造は溶接鋼管の骨組みに羽布張りで主脚ならびに尾輪は引き込み式であった。 キャビンはパイロットと4人の乗客を収容した。 エンジンは空冷420馬力のライトR-965-E2であった。 モデル17Rは高性能であったが熟練パイロットでないと乗りこなせなかったので、ビーチ社としては操縦性を改善することが急務であった。 1934年になってモデルB17Lでは主翼の厚みを増すことにより完全な主脚の収容を可能にし、小型のエンジン ジェイコブL-4(285馬力)を採用して操縦性の大幅な改善ができたことにより市場が広がり、航空機製造会社としてビーチ社の名前を不動のものにすることができたのである。 1939年、小型の連絡機の必要性を感じていたアメリカ陸軍はモデル17に目を付け3機のモデル17を評価用として発注した。 つづいて1941年よりUC-43の型式名を与えられ207機が発注された。 アメリカ海軍もGB-1の名前で342機を発注しそのうち105機がレンドリースプログラムでイギリスに送られている。 モデル17シリーズの生産は戦後の1947年まで続き何機かは20世紀の終わりまで使われていたといわれている。    

 
性能諸元(UC-43)

形式: 連絡機   エンジン:プラットアンドホイットニー R-985-AN-1 空冷450馬力   最大速度:312km/時(高度1,525m)   巡航速度 290km/時   航続距離:800km   海面上昇率 455m/分   上昇限度:6,100m   自重:1,400kg   全備重量:2,132kg   全幅:9.75m   全長:7.97m   生産台数:740

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Enzo Angelucci "Illustrated Encyclopedia of Millitary Aircraft 1914 to the present" Chartwell Books Inc.
David Donald (ed.)"The Encycropedia of World Aircraft" Prospero Books
F.G. Swanborough “United States Military Aircraft since 1909” Putnam 1963