ダグラス AD-1 スカイレイダー 

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モデルは AIRFIX製 1/72

アメリカが第二次世界大戦に参入した当初ダグラス社は艦上攻撃機としてSBD急降下爆撃機、TBD雷撃機を持っており他社に対して圧倒的に有利な立場にあった。 しかしグラマン社のTBFアベンジャー、カーチス社のSBCヘルダイバーの登場により従来機種の後継の開発に迫られた。  しかし1944年になるとアメリカ海軍は艦上攻撃機に対する要求仕様を変え始めていた。 このころには圧倒的な制空権の確保により後部座席の防御機関銃手が不要となってきたのでパイロットだけの搭乗でよくなり、また急降下爆撃と雷撃の両方をこなせる機種を要求してきたのである。 これに応じダグラス社はSBD艦上爆撃機の後継として28機のBTD-1単座艦上攻撃機を作っていた。 戦争終了とともにほとんどの契約はキャンセルされたが、1944年からダグラス社が進めていた急降下爆撃も雷撃もできる機種はアメリカ海軍に認められ、ADスカイレイダーとして朝鮮戦争などで大活躍し、艦上攻撃機としてもっとも成功した航空機となったのである。 その最も大きな特長は搭載能力であった。 なにしろ単発機でありながら、爆弾などの搭載能力は3.6トンに達し日本の4発重爆撃機連山を凌ぐほどになったのである。  ライバル各社をおさえて当初はXBT2D-1として1944年7月アメリカ海軍の契約を勝ち取り翌年3月に初飛行をした。 エンジンは空冷の2,500馬力のライトR-3350-24Wであった。 型式名がAD-1と変わり548機の受注をみたが242機が完成したところで日本が降伏して戦争は終わりをつげた。  本機の開発は戦後も続けられ、レーダーを搭載した夜間攻撃機型、写真偵察機型、電波妨害システム(ECM)搭載型など多くのバリエーション型が生産された。 1948年になって全面的な機体の改良が行われ、前線での負傷者搬送などさらに多くの用途に使われるようになり朝鮮戦争、ベトナム戦争ではその巨大な爆弾、ロケット弾の搭載能力を生かして低空での対地攻撃に絶大な威力を発揮した。 スカイレイダーの武装標準は主翼の20mm機関砲4門に加え胴体と主翼に15以上懸架装置が付けられロケット弾、爆弾、ナパーム弾を搭載できた。     合計で3,000機以上が作られ、そのうち1,000機以上は東南アジア方面に配備されたほかイギリス、フランス空軍でも使われている。    1962年アメリカ機の型式名の全面的変更に伴い名称はA-1となっている。 

 
性能諸元(AD-3)

形式: 単座単発艦上攻撃機   エンジン:ライトR-3350-24W空冷2,500馬力   最大速度:476km/時(高度 5,580m)  巡航速度:317km/時   航続距離:2,405km   海面上昇率:689 m/分   上昇限度:8,169m   自重:5,209kg   全備重量:8,185kg   全幅:15.27m   全長:12.57m   武装:20mm 機関砲4門 爆弾、ロケット弾合計2,724kg   生産台数: 3,180

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.1”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Rene Francillon “McDonnell Douglas Aircraft since 1920” Putnam Aeronautical Books 1979
Gordon Swanborough “United States navy Aircraft since 1911” Naval Institute Press 1968