1938年アメリカ海軍は強力な艦上急降下爆撃機の必要を感じ新たな仕様を発布した。 主な仕様項目はメンテナンスの容易な空冷エンジンを搭載すること、より高速で航続距離が長いこと、爆弾搭載量が大きいこと、十分な防弾装置を持っていることに加え主翼が折りたたむことができ、航空母艦のエレベータに2機同時に載せられることなどであった。 これに応じた6社の中からまずカーチス社とブリュースター社の設計案が選ばれ、1939年この両社に対して試作機が発注された。 カーチス機にはSB2Cの型式名が与えられ1940年12月に初飛行した。 アメリカ海軍は軍備大拡張計画に基づき現用のダグラスSBDに代わる新鋭機を緊急に必要としていたので、試作機が初飛行する1か月前に風洞実験などのデータだけに基づいて370機の発注にふみきった。 SB2Cに使われた要素技術はとくに目新しいものではなかったがカーチス社としては始めてのこともあったし、とくに単発機としては当時としては非常に複雑なものになったので、大量生産ともなると数多くの問題が表面化し第一線への配備が遅れ、議会で問題になるくらいであった。
SB2Cの量産型が飛行したのは1942年6月であったが、その後も問題が続出し本格的に各前線に配備が始まったのは1943年11月になってからのことである。 その後急速に旧型のダグラスSBDを置き換えていった。
SB2Cの基本武装は主翼に2門の20mm機関砲、胴体後部座席に12.7mm旋回式機関銃1挺、爆弾槽内に454kgの爆弾1個であった。 エンジンはライト R-2600-8空冷1,760馬力である。
最初の200機はこの仕様で作られたが着艦時の主脚折れ、着艦フックの不具合など構造関係のトラブルが続いた。 SB2Cの最初の実戦参加は1943年10月空母バンカーヒルから出撃した部隊によるラバウル攻撃である。 続いて11月に再び攻撃して日本軍に大打撃を与えている。 SB2C部隊はわずか数機の損失であった。
以後SB2Cに次々と改良型が登場しフィリピンと太平洋地域でアメリカ海軍の急降下爆撃部隊の主力として活躍したのである。
ヨーロッパ戦線におけるユンカースJU87急降下爆撃機の華々しい活躍を見てアメリカ陸軍も本機に興味を示しA-25の型式名で700機を発注したが、実際に使われることなく一部はオーストラリアに引き渡されてしまった。
形式: 艦上爆撃偵察機 エンジン:ライト R-2600-20 空冷 1,900馬力 最大速度:418km/時(高度 4,907m) 巡航速度 238km/時 航続距離:2,905km 上昇力: 8.9分(高度3048mまで) 上昇限度:8,047 m 自重:4,799kg 全備重量:7,220kg 全幅:15.15m 全長:11.18m 武装:20mm固定式機関砲2門、7.7mm 旋回式機関銃2挺、爆弾 454kg 生産台数:7,200
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